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姫路城の城主には歴代にこんな人物も!魅力あふれるその謎に迫る!

最近、少し歴史に興味を持ち始めた
中学生の、甥が言うのです。

『何で、姫路城歴代城主って、沢山いるんだよ!
しかも、この人が何で、この城の城主だった訳?』

大河ドラマ『軍師官兵衛』を見ていたならば、
その理由は、わかったはずなのに、
当時、甥は歴史には、興味はありませんでした。

ドラマでは、片岡鶴太郎さん演じる
優柔不断な城主、小寺政隆(こでらまさたか)の頃、
今から、約500年前から描かれていました。

100年程を描いた、ドラマの中だけでも
実は、城主6人も登場していたのです。

現実には、ドラマに描かれていなかった城主を
含めると8人、1人の平均在位12年半程です。

甥の疑問を、一緒に解決すべく、

姫路城が築城された、約700年前
タイムスリップして、歴史の扉を
開いてみることにします。


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姫路城を築いたのは誰?

諸説ありますが、姫山の地に初めて、
縄張りを張ったのは、赤松則村という人物です。

鎌倉幕府が滅亡し、戦乱の世に突入した
南北朝時代、1333年のことです。

当時は、城というよりは、のようなもので

次男の赤松貞範が、のような建物にしたのが、
現在の姫路城の始まり、と言われています。

天守閣が全国的に広まったのは、織田信長の
安土城以降と言われているので、姫路城の
天守閣が築かれるのは、まだ先の話です。

歴代城主はどんな人たちが?

長い歴史を持つ、姫路城には歴代、
どんな城主が、入封していたのでしょう?

築城から関ヶ原の戦いまで

当初、赤松家は現在の兵庫県・岡山県
一部の守護大名でした。

その為、姫路城(当時は姫山城)には
一時期、山陰の有力守護大名である
山名持豊が入封していた以外は、

1500年頭まで、一族の
小寺家が、7代城主を務めていました。

大河ドラマでも、描かれていたように、
小寺家が、御着城(ごちゃくじょう)に本拠地を
移した後、家臣の、黒田家が入封します。

黒田孝高(よしたか)、つまり黒田官兵衛の
祖父・父の時代に、姫山城は居館程度の
中世の城郭に、拡張されます。

そして、黒田官兵衛が城主となるのですが、

彼は織田信長の命を受けた、羽柴秀吉が
この地に進駐すると、あっさりと城を
秀吉に、献上してしまうのです。

当時、織田家に黒田家の家運をかけていた
官兵衛は、信長の中国の毛利攻めにおいて
この城が要になる、と考えた末の事でした。

それまでの城郭を、当時流行しつつあった
石垣で囲い、3層の天守閣築城し、
姫路城改名したのは、羽柴秀吉でした。

初代城主については、諸説ありますが、
関ヶ原の戦いまでの
歴代城主は、以下になります。

歴代 西暦 城主
1 1346年 赤松 貞範
2 1349年 小寺 頼季
3 1352年 小寺 景治
4 1357年 小寺 景重
5 1403年 小寺 職治
6 1441年 山名 持豊
7 1467年 赤松 政則
8 1469年 小寺 豊職
9 1491年 小寺 政隆
10 1519年 小寺 則職
11 1531年 八代 道慶
12 1545年 黒田 重隆
13 1564年 黒田 職隆
14 1567年 黒田 孝高(官兵衛)
15 1578年 羽柴 秀吉(後の豊臣 秀吉)
16 1583年 羽柴 秀長
17 1585年 木下 家定

関ヶ原の戦い以降

織田信長の重臣の次男である、池田輝政が、
姫路藩の初代藩主として、入封します。

輝政は、豊臣恩顧の武将なのですが、家康の
次女の婿であり、関ヶ原の戦いでは東軍として
武功をあげたので、入封したと考えられます。

彼は約8年の歳月をかけて、姫路城大天主を
現在の、5層7階大改築しました。

池田家の後、本田忠勝の子の本田忠正
城主となります。

本田忠勝と言えば、徳川家康の重臣中の
重臣として、有名な人物です。

本田家の後は、松平家榊原家酒井家
次々に、城主が変わり、最後の城主は
酒井忠邦(ただくに)で、廃藩置県を迎えます。

関ヶ原の戦い以降は、次々と城主が変わった
姫路城ですが、幕末までは必ず
譜代親藩大名が、城主になっていました。

その、次々と変わった歴代城主を
まとめてみると、凄まじいものがあります。

歴代 西暦 城主
18 1600年 池田 輝政
19 1613年 池田 利隆
20 1617年 池田 光政
21 1617年 本多 忠政
22 1631年 本多 政朝
23 1638年 本多 政勝
24 1639年 松平(奥平) 忠明
25 1644年 松平(奥平) 忠弘
26 1648年 松平(越前) 直基
27 1648年 松平(越前) 直矩
28 1649年 榊原(松平) 忠次
29 1665年 榊原 政房
30 1667年 榊原 政倫
31 1667年 松平(越前) 直矩
32 1682年 本多 忠国
33 1704年 本多 忠孝
34 1704年 榊原 政邦
35 1726年 榊原 政祐
36 1732年 榊原 政岑
37 1741年 榊原 政永
38 1741年 松平(越前) 明矩
39 1748年 松平(越前) 朝矩
40 1749年 酒井 忠恭
41 1772年 酒井 忠以
42 1790年 酒井 忠道
43 1814年 酒井 忠実
44 1835年 酒井 忠学
45 1844年 酒井 忠宝
46 1853年 酒井 忠顕
47 1860年 酒井 忠績
48 1867年 酒井 忠惇
49 1868年 酒井 忠邦

尚、年代については、若干の誤差が
ある場合があります。

何故こんなに沢山の城主がいたの?

姫路市の公式サイトによると、

赤松家が、1333年に姫山の地に砦を築いて
以来、536年の間に13氏48代
姫路城の城主を、務めています。

これは、父の死により名目上、
城主になったものの、幼少の為、務まらず
転封になった例もあります。

それだけ、この地は関ヶ原以前は毛利攻めに、
関ヶ原以降は、西国の地に、にらみを効かせる
意味で、重要な場所
だったのです。

江戸時代は特に、城主が幼少の場合は
国替えを行った為、多くの大名が城主を
務めたのです。

おわりに

官兵衛の時代までは、私も知っていましたが、
江戸時代以降の城主が、こんなにも次々と
入れ代わっている事に、驚きでした。

甥が納得がいかなかった、城主とは
羽柴秀吉だったようで、
これで、合点がいったようです。

城の歴史には、それぞれの魅力がありますね。
平成の大改修の後は、行った事がないので、
姫路城、また行ってみたいなぁと思います。


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