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邪馬台国ーその3

光り輝くは命の波動、青空に新緑が眩しく大地のそのすみずみまでも歓喜の歌あふれる。

買ってもらったばかりのスニーカーも軽やかに春風の中、目指すは老舗古書店の扉。中学2年生になったばかりのたかや君の胸はもう聞きたいことだらけではちきれんばかり。

おのずと足取りは早くなり、角を回るごとにギアチェンジ。一方、店主の元木明人先生はうつらうつらと夢の中。顎を両手で支えると波のまにまに舟をこぐ。

小学校で教鞭をとっていたのはわずか1年ほど前。もと教え子のたかや君は今でも先生と呼んで慕ってやって来ます。

たかや君「先生、こんにちは!」

明人先生「わあ、びっくりした!やあ、たかや君こんにちは」

たかや君「先生寝ていたんですか、こんないいお天気の日に」

明人先生「いやいや、ちょっとうたたねを。で、今日は何だい?」

たかや君「何そんなのんびりしたこと言っているんですか。“邪馬台国”ですよ“邪馬台国”」

    「先生、“邪馬台国”が“ヤマト王権”とつながりそうでつながらない、微妙な関係なままで、僕夜も寝られないんです」

明人先生「ああ、その問題ね。それは難しい、それは難問だよ。年代測定などで決定的なものが出てきてないしね」

たかや君「でもまだ他のアプローチもあるはずですよ。僕まだ“卑弥呼”についてよくわかってないです」

    「“卑弥呼”っていったいどんな人だったんですか?“ヤマト王権”との関係ってあるんですか?」

明人先生「よし、わかった!では今回は“卑弥呼”について考えてみよう」

たかや君「お願いします」


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明人先生「“卑弥呼”に関してはたびたび言及してきたよね。それをちょっとまとめると次のようになるかな」

    「まず即位したときにはすでに高齢であった。そして“鬼道で衆を惑わし”とあるから、巫女として神の声を聞いていたのだろう」

    「また“卑弥呼”=ヒミコ=日巫女、日御子、などの推定から太陽神に関わり深いような印象を受ける」

    「さらに『魏志倭人伝』の記述によると“乃ち一女子を共立して王と為す”とある」

たかや君「え、“共立”って他にも誰かいたんですか?」

明人先生「そうなんだ。弥生時代の後期から古墳時代の前期まであったといわれる、ヒミ・ヒコ制という統治形態だよ」

    「実は名前の中にこの“ヒメ”や“ヒコ”が現れてくるということで“卑弥呼”の名もそれで解釈できるということだ」

    「対立する狗奴国の王“卑弥弓呼(ヒメココ)”もそれに入る」

    「祭祀的な農耕従事集団である女性の長と、軍事的な男性の長がクニの王とし男女一組で支配するんだ」
     
たかや君「卑弥呼の他に男性の王がいたんですね」

明人先生「“男弟あり、佐て(たすけて)国を治める”とあるから、この弟がそうではないかとみられている」

    「この男弟はまた、卑弥呼の即位後“飲食を給仕するとともに彼女の所に出入りしていた”ただ一人の男子と同一人物か、という問題もあってね」

    「卑弥呼の“言葉を聞く”ということでは唯一の人(男弟=男子)として理にかなっているが、“日ごろの飲食の給仕”となると身分の低い人、やはり別人と考えた方がいいという説もある」

    「その一方で、もう一人の王である弟に世話をさせるほどの権力を女王が持っていた、という風にも考えられて、この辺りは決着がつかないな」

    「他にも1000人の女性が侍女として仕えていたり、死んだ際には塚に百余人の奴隷が殉葬したという」

たかや君「ずいぶんと権力があったんだ」

明人先生「『魏志倭人伝』では“邪馬台国”という言葉は1回しか出てこないのに対して、“女王国”という表現は5回使われているそうだよ」

    「ヒメ・ヒコ制であったにしても、邪馬台国では女王の方が圧倒的に強かったということだね」

たかや君「やっぱり“卑弥呼”ってすごいんですね!」

明人先生「ところで『記紀』は天皇を頂点とする国家の統一を正当化するために天皇というのは天孫降臨による神の子孫であるという図式を作り上げていったよね」

    「そのため、中国に対して朝貢をしていた“邪馬台国”や“卑弥呼”を直接記載することははばかられたわけだが、その事実はちゃんと認識していた」

たかや君「『日本書紀』の神功皇后の分注に卑弥呼の行跡が出てきたんでしたよね。それで編纂者たちは『魏志倭人伝』を読んでいたということがわかった」

明人先生「中国の歴史書にもあるのだから無視するわけにもいかないだろう。必ずや何らかの形で彼らは記述しているのではないかということになる」

たかや君「で先生、最も有力な候補者と考えられるのは誰ですか?」

明人先生「まず一番に挙げられるのは“天照大神”だ」

たかや君「ええ~、また突然。アマテラスって神様でしょう。それはちょっとあり得ないのでは?」

明人先生「確かにちょっとあり得ないようにも見えるね」

    「でも“天照大神”は神としてそれほど古い神様でもないともいわれていてね“卑弥呼”と同じくらいではないかとの見解もある」

    「まあ“天照大神”を生んだ伝承そのものが歴史的事実と混然一体としていて実在と非実在の区別の検証はとても難しい」
 
    「天皇にしたって実際には第10代の崇神天皇から実在が認めらるが、その後も所々疑わしい人たちは結構いるんだ」

    「ということで『日本書紀』の“高天原”を“邪馬台国”に措定し天照大神を卑弥呼に比定することも決して突飛なことではない」

    「天照大神はそれ自身太陽神であるとともに太陽神に仕える巫女でもある。“卑弥呼”のイメージに近いということがわかるだろう」

たかや君「まあ、確かにそうですね」

明人先生「『記紀』の生まれた8世紀初頭の大和朝廷からしたら、前の時代の倭国の女王を皇祖神として伊勢神宮に祀ることは全くない話ではないと思う」

    「さらに“スサノウノミコト”という弟の存在も符合する」

    「一説には“天の岩戸の神隠れ”を“卑弥呼”の時代の皆既日食と関係づけている研究者もいる」

たかや君「まあ、そこまで考えられていて、そういわれると…」

明人先生「しかし相違点もあって、天照大神には多くの子供をがいるのに対して“卑弥呼”にはいない」

    「後の女王“トヨ(イヨ?)”は宗女、一族の娘ではないかといわれているんでね」

    「それに天照大神と比定した場合、九州からの東遷説と不可分な部分も出てくる。これについての説明はまだ不十分と言わざるを得ない」

たかや君「先生、他に候補者はいないんですか?確かすごく名前の長い人がいたような」

明人先生「有力とされているもう一人は“倭迹迹日百襲姫命”だ」

    「“纏向遺跡”で初期の前方後円墳群を確認してヤマト王権誕生の舞台ということがほぼ確実視されると、その一つである箸墓古墳に注目が集まった」

    「というのもそれは『魏志倭人伝』に記されている卑弥呼の塚とほぼ同じ大きさだったからだ」

    「宮内庁では埋葬者は倭迹迹日百襲姫命としていて、時代的にも卑弥呼の時代に近いという説が出てね」

たかや君「確かこの人も巫女だったんですよね」

明人先生「そう、第7代孝霊天皇の皇女で第10代崇神天皇の時に天皇を助けて重大なお告げをしている」

    「卑弥呼死亡後のいわゆる“倭国大乱”に似た状況が、この巫女の後にも起こっていて、符合するということなんだ」

    「また箸墓古墳が、崇神天皇の墓ではないかといわれている行燈山古墳よりも大きいことも、卑弥呼の墓らしいことを裏付けていると思われるしね」

たかや君「決定じゃないのは、箸墓古墳の年代が卑弥呼の没年より少し遅い、4世紀ごろのではないかという説もあることでしたよね」

明人先生「そうなんだ。まだ年代が確定してしない。それに箸墓古墳そのものが倭迹迹日百襲姫命の墓なのか確証がない」

    「さらにこの他にも、これが卑弥呼の墓ではないかというものが出てきていてね。それが福岡県糸島市の“平原遺跡”の一号墓だよ」

    「1号墓からは多くの銅鏡が見つかっているがその中の“大型内行花文鏡”はあの“八咫鏡”の起源ではないかといわれているんだ」

たかや君「“八咫鏡”ってあの三種の神器のひとつですか?」

明人先生「うん。“平原遺跡”には他にも勾玉や管玉、耳飾りなど装身具が多数出土しているので、被葬者は女性であることは確実とされている」

    「比定としては“玉依ヒメ”か“オオヒルメノムチ”が考えられているよ。“玉依ヒメ”は巫女神で、“オオヒルメノムチ”は天照大神の別名だ」

たかや君「また出てきましたね“天照大神”。ただ先生、糸島市には“伊都国”があったと思いましたが」

明人先生「よく覚えていたね。糸島市に“伊都国”があったことはほぼ確実視されてる」

    「もし“邪馬台国”がこの地にあるとした場合、二つの国はだいぶ近接していことになるね」

    「また単に、卑弥呼の墓を伊都国のごく近いところに造ったとも考えられるが“一大卒”を設置していたところでもあり、考えられなくもない」

たかや君「ちょっと説明が必要になってきますね。すんなりとは受け入れられない」

明人先生「そうだね。ただここでも“天照大神”が出てきたことで“卑弥呼”の面影が重なっていることがわかる」

    「それに“八咫鏡”も出てきたことで“邪馬台国”が九州から畿内へと遷ったつまり東遷説をとることでヤマト王権との関係を示唆している」

たかや君「何だか複雑です」
     
明人先生「それとは別に、≪卑弥呼=天照大神=倭迹迹日百襲姫命≫と考える人もいて、こちらは畿内説を主張している」
     
たかや君「うう~ん、だんだんわからなくなってきました。他にも考えられる人いますか?」

明人先生「先ほど出た“神功皇后”が推定されているよ」

    「この皇后は“三韓征伐”をしたとされる実に勇猛果敢な女性ということだけど一方で実在性が疑われている」

    「『日本書紀』の編纂に“卑弥呼”と同一視するような意図がみえ、またそれを支持する人も少なくはないようだが、確証が足りないかな」

    「他には、第6代孝安天皇の義理の姉にあたる“宇那比姫”がいる」

    「その別名が“オオヤマトヒメ”、“アマツクルヒメミコト”や“日女命(ヒメミコト)”ということから候補にあげられているんだ」

たかや君「名前だけではこじつけのような…」

明人先生「“卑弥呼”の後で女王の位についた“トヨ”は“宇那比姫”の二世代後の“天豊姫(アマトヨヒメ)”ということになるらしい」

たかや君「僕はやはり物的証拠がないと信じられないのですが」

明人先生「確かに、どれをとってもそれぞれ決定打に欠ける」

    「“卑弥呼”について考察する際にも“邪馬台国”の九州説・畿内説・東遷説が深く関わってくることが論証のカギとなりまた妨げにもなっているしね」

    「真実は、さらなる文献の詳細な検証とこれからの考古学的な発見がもたらしてくれるだろう」

たかや君「先生、今回“平原遺跡”で出土した銅鏡で八咫鏡の起源ではないかという“大型内行花文鏡”って見ることできますか?」

明人先生「“伊都国歴史博物館”で見ることができるけど“九州国立博物館”でも1面展示しているよ」

    「アクセスは西鉄を利用する場合は、西鉄福岡駅(天神駅)から西鉄天神大牟田線に乗り、“西鉄二日市駅”で下車、西鉄大宰府線に乗り換え“太宰府駅”で下りて歩いて10分だ」

    「JR博多駅からはJRの鹿児島本線で“二日市駅”で下車、12分かけて歩くかあるいは西鉄バスで“西鉄二日市駅”へ行き、後は西鉄太宰府線を利用して“太宰府駅”で降りて歩いて10分」

    「他にバスを使う方法もあるので、HPで確認するといい」

    「弥生時代は大陸や朝鮮半島との接触なしには考えられなかったわけで、その玄関口である九州の多くの遺物を展示しているからきっと面白いと思う」

    「大きな博物館だからじっくり見てきなさい」

たかや君「はい、いつものように、了解です!」


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