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邪馬台国ーその2

初々しかった社会人1年生も満員電車での立ち位置を確保するころ。暖かい日差しは忌むべき紫外線へと理不尽にも勝手に名を変えられてへそを曲げています。

古い台帳を睨みつつ判読に身体がフリーズしているのは元小学校教諭の老舗古書店であるこの店の主。

太古の絵文字を思わせる父親の筆跡に元木明人先生が四苦八苦していると一陣の風がノートをめくりました。

重い扉を開けてやってきたのはたかや君<。先生の元教え子の中学生です。 たかや君「先生、こんにちは!」

明人先生「やあ、こんにちは、たかや君!」

たかや君「この間、邪馬台国について話をしてくれましたよね。未だ決着がつかないどこにあったかという問題」

    「九州説と近畿説でどっちもどっちって感じでしたけど、他にも候補ってあるんですか?」

    「それに邪馬台国そのものついては、あまり話されていなかったように思いましたが、どんな国だったんでしょうか?」

    「“卑弥呼”ってすごい権力持っていたんですよね」

明人先生「そういっぺんに言われても一言では難しいなあ」

    「邪馬台国は大テーマだから簡単にはいかないけど。では現在まででわかっていることを、今回は見ていこうか」

たかや君「おねがいします」


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明人先生「まず、邪馬台国の位置だよね。九州説と近畿説が有名だけど、実は九州説には候補地がいろいろあるんだ」

たかや君「え、僕はてっきり北九州、今の福岡県辺りだろうと思っていました」

明人先生「うん、他にも大分県や宮崎県など数え上げるとほとんど九州全域に及ぶらしい」

たかや君「どうしてそうなっちゃったんですか?」

明人先生「やはり距離の解釈の仕方。『魏志倭人伝』には不明瞭な点があるからね。それと地名」

    「『古事記』に書いてある天孫降臨の話の中に出てくる“高天原”は九州をはじめとして各地に存在する」

たかや君「どうして急に『古事記』が出てくるんですか?それに天孫降臨は神話でしょ」

明人先生「神話を全くの作り話ととらえるのはよくないな」

    「トロイア戦争を描いた『イーリアス』を信じたシュリーマンがミケーネ文明発掘したように、神話には事実が潜んでいるんだ」

    「国の始まりを記す際のベースに編者は“邪馬台国”や“卑弥呼”を意識した違いないと僕は思うよ」

    「それにふつうの人々の記憶の中にも事実が物語として語り継がれるという傾向がある」

たかや君「なるほど。それで調べて見たのはいいけど“高天原”はいっぱいあってどこが『古事記』の“高天原”かわからないということですね」

    「でも、どうして“高天原”なんですか?」

明人先生「“高天原”は神々が生まれた場所とされ、天上をイメージするけど、“天”には地上の“都”と意味すると考えられるんだ」

    「そうなると今現在の天皇の先祖である“神々”のいた場所として、編者は前の時代、つまり神代の地上の都を措定していたと考えられる」

    「“邪馬台国”あるいはその都だ」

たかや君「『記紀』を検証しなければならないというのはそういうことなんですね。それにしても決着はつかないわけで」

    「先生『邪馬台国』ってどのような国だったんですか?それが分かると、そういうところが昔あったということで、地域は結構しぼれると思うのですが」

明人先生「そうだね。では当時の様子だけど、3世紀の倭はすでにたくさんの国があった。“邪馬台国”は30もの国を束ねる連合国家だった」

    「元々男性の王が治めていたがその後倭国全体で騒乱が起きる。これが“倭国大乱”と呼ばれているものでだいたい2世紀後半ごろのことだ」

    「そして“卑弥呼”が擁立されるわけだけど、それによって国は治安を取り戻した。すでにだいぶ年を取っていたということだよ」

    「女王になってからは弟だけが接触していたようだが、1000人もの侍女が彼女に仕えていたという」

    「これだけでも女王の住まいの近くには多くの住居があるはずということが想定されるね」

    「また、諸国の監察官として“一大卒”という官職があったという。諸国はそれを恐れていたと表現されているから厳しい監察をしたのだろう」

    「卑弥呼は魏に対して複数回使節を派遣している。出発の時には見送り、反対に向こうの使者が倭国に来た際には出迎えて文書や贈り物を検分し照合して女王に伝えるという仕事もしていた」

    「まるで女王直属の秘密警察と外交事務官のような機能をもっている」

たかや君「そういう人たちが“邪馬台国”にいたんですか?」

明人先生「いや、“女王国の北側に置いて”とある。そして“常に伊都国で統率され”ていたらしい」

たかや君「あれ?“伊都国”って確か福岡県の糸島市が想定されていませんでしたか?そうなると福岡県の南が“邪馬台国”じゃないですか」

明人先生「そう、この“一大卒”に関する記述をもって邪馬台国九州説の根拠の一つになるが、女王国の北側が伊都国だとは言っていない。それが微妙だ」

    「ここでは外交の事務次官も兼ねた諸国の監察官が邪馬台国の政治機構の一つとしてあったということを覚えていてほしい」

    「それに大陸や半島とだけでなく、倭国国内でも盛んに交易が行われていた。『魏志倭人伝』には“国々に市があり”、“有無を交易する”とある」

    「物々交換をしていたことがうかがえる。“吉野ケ里遺跡”でも市が行われる場所があったよね」

    「海外品はもちろん国内の様々な地域から集められた品が保管されていた倉庫群と思われるものも存在した」

たかや君「吉野ケ里が“邪馬台国”だったという可能性はないのですか?」

明人先生「それはないな。吉野ケ里が最も栄えた思われるのは弥生時代中期、“邪馬台国”は後期、3世紀だ」

    「吉野ケ里は、107年に後漢に使者を送った帥升の集落があった場所ではないかという説が出されている」

たかや君「時代が違うということですね。“邪馬台国”には他にどんな政治システムがありましたか?」

明人先生「まずは身分制度だね。“大人(だいじん)”、“下戸(げこ)”、“生口(せいこう)”=奴隷」

    「税制もしっかりしていたらしいよ。『魏志倭人伝』に“租税や賦役の徴収が行われ、国々にはこれらを収める倉がつくられていた”とある」

    「法制度もあって法を犯すと“軽い者はその妻子を没し”、“重い者はその門戸および宗族を没する”と記されている」

    「つまり、血縁による連帯責任ということだね」

    「それぞれの宗族には尊卑の序列があって、下のものは上のものの言いつけを守ったし、敬意を表する作法として“拍手を打ち、うずくまって拝む”とある」

たかや君「すごく具体的ですね。書いた人が実際に自分の目で見たような」

明人先生「『魏志倭人伝』の著者“陳寿”自身は“邪馬台国”には行っていないが、魏からの使者がきている。国の役人たちだ」

    「彼らの報告はしっかり記録されているだろうし、陳寿による執筆はそれからしばらく経っているけど正確な資料を見ることができたと推測されている」

明人先生「では次に“卑弥呼”について少し触れてみよう」

たかや君「“卑”という字がすごく気にかかります。“卑しい”の“卑”ですよね」

明人先生「名前はこちらが発した音を当時の漢字にのせたんだ。その際、わざと野卑な漢字を選択している。これは中華思想の現れだと思うけど、まあ仕方ない」

    「“邪馬台国”の“邪”も“邪な”といういい意味の字を使ってはないだろう」

    「問題はその音だよ。“卑弥呼”は“ひみこ”と読むけど、これを固有名詞ととらない考え方がある」

たかや君「“卑弥呼さん”ではないんですか?」

明人先生「『魏志倭人伝』によると邪馬台国と対立する国で“狗奴国”があってね、実際戦闘状態だったというが、その国の王の名前は“卑弥弓呼”(ひみここ)というんだ」

たかや君「面白い名前だしなにより“卑弥呼”に似ていますね」

明人先生「そう。それで“卑弥呼”とは“日巫女”あるいは“日御子”などとして、皇族の尊称なのではないかと推測する」

    「“卑弥弓呼”の方は“彦御子”、“彦命”の字を当て、やはり皇族の尊称と考える」

たかや君「そうするとどうなるんですか?」

明人先生「邪馬台国と狗奴国の争いは同族同士の争いという解釈だ。それも高い身分の人同士の」

    「30もの国々の頂点に立つ邪馬台国 VS 狗奴国 という構図ではなく、連合国家内の身内同士の争いということになる」

    「さらに日本神話にぐっと近づくように思われないかい」

たかや君「僕“卑弥呼”という漢字ばかりにとらわれていた気がします」

    「“ヒミコ”、“ミコ”となると確かに『古事記』などに出てくる神様や皇族の名前が思い浮かびますね」

明人先生「そうなんだ。つまり、この名前の中に“邪馬台国”と“ヤマト王権”を結ぶ鍵が隠されている」

    「『記紀』中には多くの同族同士の争いの話が出てくるよね」

    「卑弥呼と卑弥弓呼の争いもその中の一つに投影されているかもしれない、と研究者は考えた」

    「“ヤマト王権”の最初のリーダーは実在がほぼ確認されている第10代の崇神天皇だ。邪馬台国畿内説、さらに邪馬台国=ヤマト王権説をとる人はこの天皇をネックとする」

    「あくまでも一つの説だけどね、この天皇のときに疫病が流行りたくさんの人が死んでいった。崇神天皇は大変憂いて神々に祈りをささげたりする」

    「そして巫女としてさかんに天皇に助言するのがあの“倭迹迹日百襲媛命”なんだ。箸墓古墳の被葬者と考えられているよね」

たかや君「つまりどういう関係になるんでしょう?」

明人先生「“卑弥呼”は“倭迹迹日百襲媛命”で、“卑弥呼”が女王として即位して後は唯ひとり接触してその言葉を伝えたという弟が崇神天皇だ」

    「“倭迹迹日百襲媛命”は第7代孝霊天皇の皇女、崇神天皇にとっては大叔母にあたる。“卑弥呼”が即位したときすでに高齢であったという記載に合致する」

たかや君「卑弥弓呼はどこに出てくるんですか?」

明人先生「『日本書紀』によると第8代孝元天皇の皇子で崇神天皇にとっては叔父にあたる武埴安彦命(かけはにやすひこのみこと)というのが謀反を企てたとある」

    「これを占いによって察知したのが“倭迹迹日百襲媛命”なんだ。すぐに崇神天皇に知らせて対処しているんだけど、これが卑弥弓呼ではないかと推定しているよ」

たかや君「う~ん、現実味があるなあ。納得されそう。先生はどう思いますか?」

明人先生「うん、確かに“卑弥呼”を“日巫女”あるいは“日御子”としてシャーマン的要素を強調するのはあることかもしれない」

    「でもね、『魏志倭人伝』では、“乃ち一女子を共立して王と為す。名は卑弥呼という”とある」

    「つまり背景として、貴方の国のリーダーの名前は何ですかという問いに対し“卑弥呼”です、となる」

    「あるいは、邪馬台国の使節が自分から説明する場合はどうだろう」

    「魏の役人やもしかしたら皇帝に対して彼らに名前を述べるとしたら、その場合尊称だけを言うだろうか、固有名詞を全く伏せて」

たかや君「ああ~、そうか。そうとも考えられますね。それは変ですよ、確かに」

明人先生「もちろん明確なことはわからない。後の“倭の五王”についても中国の歴史書は単に“讃・珍・斉・興・武”と、一文字だけ充てているしね」

    「通訳や歴史書の記載者側に、なるべく簡単に記すなど何らかの習慣や通例があったのかもしれない」

    「いずれにしても、“邪馬台国”および“卑弥呼”については研究者の数だけたくさんの説がある。これからも議論は続いていくだろう」

たかや君「そうですね。で、先生“高天原”で思ったんですけど日本の神様ってたくさんいてそれぞれ神社で祀られていると思いますが、最古の神社はどこですか?」

    「何だかそれも邪馬台国に繋がるように感じるんですけど」

明人先生「確かに考えられなくはないが、ヤマト王権との関係から解きほぐすのは難しいなあ」

    「ただ最古の神社については興味深いね。実際には“最古”と名乗っている神社がとても多いところが問題だけど」

    「有名なところは奈良県桜井市三輪の“大神神社”。大物主神をご祭神としてお祀りしている」

    「しかし“邪馬台国”と同じくヤマト王権そのものが九州から東遷したという説があってね、その“ヤマト東遷説”に従うと“大神神社”の元となる神社が最古ということになる」

    「それが“大己貴神社(おおなむち)”だ。ご祭神は大国主命で福岡県朝倉郡筑前町にあるよ」

    「この地は昔“三輪町”と言ったそうで奈良の“三輪”というのは東遷したのち、昔を懐かしんで以前の地名を付けたのではと考えられている」

たかや君「どちらに行ったらいいでしょう。奈良と福岡では一緒は遠すぎます」

明人先生「そうだねえ、最古の道として知られる“山辺の道”があってそこから“石上神宮”や“元伊勢”と呼ばれる“檜原神社”を回ることができる“大神神社”はどうかな」

    「パワースポットとして有名なところを3つ一度に巡ることが出るよ」

たかや君「わかりました。自転車借りて行ってきます!」


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