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邪馬台国ーその1

希望と緊張のないまぜを顔に貼りつけたまま社会人1年生がすし詰めのバスから躍り出る4月。

桜の花は咲く時の数倍のスピードで散っていき、いつまでも浮かれてばかりではいられないことに気づくころ。

表通りから少し奥に入った老舗の古書店では元小学校教師の元木明人先生が思案中。週末に予定している春のセールに間に合わせるべく目玉商品のチョイスにあっちがいいかこっちがいいか。

ワゴンに納まる文庫の列に人気作家のかつての話題本を数冊のせ、どうにか恰好がついたころ、重い扉が開きました。

たかや君は中学1年生、明人先生のもと教え子です。好奇心いっぱいの少年はいつも先生に何かしら質問を持ってきます。

たかや君「先生こんにちは、邪馬台国ってどこにあったかまだ分かっていないんですよね」

明人先生「いきなり大テーマがきたね、こんにちはたかや君」

    「そうだね、この21世紀に入ってもまだ決着はついていない。日本史の七不思議なんて考えた時には必ず入る問題だ」

    「でも、なぜ急に邪馬台国を持ち出してきたんだい」

たかや君「今日学校で『古事記』と『日本書紀』について習ったんです。先生の説明ではその中に“邪馬台国”は出てこなかった」

    「書いた人は“邪馬台国”の存在を知らなかったのでしょうか?それともはっきりしないから無視したんですか?」
    
    「発掘調査は日進月歩って明人先生は言いましたが、どの程度までわかってきていますか?」

明人先生「うん、いい質問だね。まず、考古学の調査は進んでいるよ。
色々なことも分かってきている」

    「でもね決定打がないということろかな」

たかや君「確か“卑弥呼の墓ではないか”という古墳があったと思いますけど、古墳が出てくるということは古墳時代ですよね」

    「つまり“邪馬台国”は弥生から古墳へのターニングポイントということ。これは重要ですよ、先生、邪馬台国について教えてください」

明人先生「了解。それでは今日は“邪馬台国”について今の状況を見てみよう」

たかや君「よろしくお願いします」


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明人先生「まず“邪馬台国”の場所についてだけど、九州説と畿内説があるのは知っているよね」

    「“邪馬台国”については『魏志倭人伝』に帯方郡からの旅程が書かれている」

    「その記述の解釈によって`連続読み’と`放射状式読み’という二つの説が出てきて、これが九州説と畿内説の根拠となっているんだ」

たかや君「どの辺までは一致してわかっているんですか?」

明人先生「対馬国は対馬、一支国(いちき)は壱岐、末盧国については佐賀県あたりが有力だが、長崎県や福岡県の一部を挙げている研究者もいる」

    「そして伊都国は福岡県の糸島市、奴国については福岡市が有力だよ」

たかや君「北九州まではだいたい一致しているんですね。そこから放射状に行くか、そのまま順にたどって行くか」

明人先生「そういうことだね。距離的に無理がないように思えるのは九州説のようだが、それぞれ地名や人名についての解釈と絡まって複雑な様相をみせている」

たかや君「どういうことですか?」

明人先生「『魏志』倭人伝と『記紀』、現地の地名などとの照合、さらに『魏略』という書物との照合が行われている」

たかや君「『魏略』は初めて聞きました。どのようなものですか?」

明人先生「魏について書かれた歴史書で『魏志』倭人伝よりも成立が早く、『魏志』倭人伝の著者、陳寿はこれをもとに書いたのではないかといわれているよ」

たかや君「ではそれが一番確かですね。それに則って解明していけばいい」

明人先生「うん、そうなんだけどこの書物は後に散逸してしまってね、清代になってからまとめられたんだ」

    「非常に似た記述でありながらでも魏志と魏略で微妙に異なっていて、それぞれが都合のいい方を採用しているという状況なんだ」

たかや君「『記紀」というのは『古事記』と『日本書紀』ですよね。ともに8世紀の初めに編纂されてる」

    「この『記紀』と照合する意味って何ですか?“邪馬台国”について書かれていないのはどうしてですか?」

明人先生「『古事記』に関しては神話的な要素が強いという性格があるにせよ、二つとも天皇の天孫降臨、その支配の正当性を構築するためにつくられた」

    「“国”の始まりについて書かれているという点で大いに意味があるよ」

たかや君「つまりどういうことですか?」

明人先生「各地方にはまだ大和政権の存在を知らなかったり(覇権が及んでいない)、あるいは歯向かう者たちもいたはずなんだ」

    「しかし、みな天皇の威光により下り従い、その結果として今の日本がある、というのが『記紀』の意図するところだ」

    「そのため各地方の事柄が詳細に書かれている。それぞれが納得するように、あなた方の所はこのようにして組み込まれていったのですよという具合だ」

    「主に地名などが参考になっていて九州説・近畿説の根拠となっている」

たかや君「“邪馬台国”についても書いていてくれればよかったのに。それとも知らなかったのでしょうか、知っていたならなぜ記載がないのですか?」

明人先生「『記紀』の編者たちは『魏志倭人伝』によって知っていたと考えられているよ」

    「『日本書紀』に第14代天皇、仲哀天皇の皇后で“神功皇后”の項があるが、その分注で『魏志倭人伝』にある卑弥呼の行跡が述べられている」

    「“景初3年6月、倭の女王は帯方郡に使いを送り~”という具合だ」

たかや君「その“神功皇后”と卑弥呼との関係は何でしょう?」

明人先生「神功皇后=卑弥呼を連想させようとしていたという説もあるが、判然としない。ただ確かなのは、『日本書紀』の編者は『魏志倭人伝』を読んでいたということだ」

たかや君「でも邪馬台国についても卑弥呼についても一言も述べていない」

明人先生「それは、その成立の意図するところが『魏志倭人伝』の『邪馬台国』と整合しないからだと考えられている」

    「つまり、卑弥呼に限らず、それまでの倭国の王たちは皆中国に対して使節を送り、冊封体制の傘下に入っている」

    「貢物を送り、中国の“皇帝”から金印をもらって“王”として承認されているんだ」

    「これは先祖を神にいただく天皇制の神の国、日本としてはあまり都合の良い事柄とは言えない」

たかや君「なるほど、それはわかりました。でも“邪馬台国”の位置だけでも教えてくれれば良かったのに」

明人先生「それは編纂した人たちにしても分からなかったのではないかな。歴史書の記載ではなく過去の記憶だとしてもすでに480年ほど経っているしね」

たかや君「先生、奈良県の『纏向遺跡』の調査から“卑弥呼の墓”ではないかというのがあったかと思いますが」

    「そうなると“邪馬台国”は近畿にあったということになりますよね」

明人先生「現段階での結論から言うと年代測定からみて断定には至っていない。ただ一つの説としてみてみよう」

    「『纏向遺跡』奈良県三輪山の北西麓一帯に広がる約300㎡の巨大な遺跡だ。まだ調査は継続中というからもっと広がっていくと思う」

    「広いだけではなくこの周辺にはたくさんのそれも初期の前方後円墳が確認されていて前方後円墳の発祥の地といわれている」

    「ヤマト王権は第10代の崇神天皇から始まると考えられていて“記紀”によると最初の3代の天皇が三輪山山麓に宮を築くとある」

    「まさに纒向周辺で10代の崇神天皇陵の“行燈山古墳(あんどんやま)”、12代の景行天皇の“渋谷向山古墳(しぶたにむかいやま)”があるよ」

    「崇神天皇というのは実在が確実視されている3世紀から4世紀の最初の天皇だ」

    「この二つの古墳は宮内庁がそう定めているわけだけど、逆ではないかという見方もある」

    「しかし、いずれにしても纒向を含めこの地域が大和王権の都であったことは確実と見られている」

たかや君「“邪馬台国”との関係はどうなりますか?」

明人先生「そうだね。“邪馬台国”が近畿にあったと仮定してもヤマト王権と連続するものなのかそれとも別系統なのかという問題が出てくる」

    「そこでにわかに脚光を浴びたのが纒向の“箸墓古墳”だ。この古墳の築造時期が3世紀の中ごろから後半という説が出てきてね」

    「卑弥呼の没年とされる248年(あるいは247年)に非常に近くなって卑弥呼の墓ではないかということになったんだ」

    「『魏志倭人伝』に記されている卑弥呼の墓の大きさとも合致するらしい」

たかや君「それ決まりですよ。でも“箸墓古墳”ってどういう古墳なんですか」

明人先生「纒向古墳群の中でも特に大きな前方後円墳で、実際の被葬者は不明だよ」

    「でも『日本書紀』によると“倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)の墓ということになっている」

たかや君「“倭迹迹日百襲姫命”とはどういう人ですか?」

明人先生「第7代の孝霊天皇の皇女で、崇神天皇の祖父第8代孝元天皇の姉妹、つまり崇神天皇の大おばに当たる人だ」

    「崇神天皇に仕えて巫女のような役割を果たしたらしい」

たかや君「卑弥呼もいわゆる巫女でしたよね。何か像が重なる」

明人先生「そうなんだ。『日本書紀』の編者は邪馬台国や卑弥呼の存在を『魏志倭人伝』によって知っていてもそれを墓と結びつけることはあえてしなかったともとれる」

たかや君「実際に“倭迹迹日百襲姫命”の墓ということも一方ではありますよね」

明人先生「宮内庁は“大市墓”つまり“倭迹迹日百襲姫命”の墓と定めているが、“箸墓”の名の由来となった倭迹迹日百襲姫命の伝承にちょっと無理がある」

たかや君「どんなことですか?」

明人先生「まず“墓”という語は大宝律令(702年施行)以降“陵”からの変化として称されるようになったこと」

たかや君「つまり3世紀や4世紀には使われていなかった。古い言葉ではないわけか」

明人先生「それに“箸”も7世紀から支配者層から使われだしたそうなんだ」

たかや君「矛盾がいっぱい出てきますね」

明人先生「そうなるとむしろ編者がむりやり“倭迹迹日百襲姫命”の墓にした、ということになり、反対にやはり卑弥呼の墓ではないかということになる」

たかや君「うわあ~、そういうことか!ますます“箸墓古墳”は卑弥呼の墓で邪馬台国は近畿にあったということになる」

    「ここまで来て決定ではないのはなぜですか?」

明人先生「やはり造られた時期がはっきりしない。“箸墓古墳”より前に築造されと見られる古墳が周辺には他にもあってね、まさに邪馬台国の時期のものもある」

たかや君「それは大変だ。ではまだまだ判明するのは先の話ですね」

明人先生「そうだね、ずっと先かもしれないし、大発見があって明日かもしれない」

たかや君「何だかワクワクするなあ」

たかや君「先生、纏向遺跡についてもっと知りたくなったんですが」

明人先生「残念だけど古墳群については外から見るしかないな。宮内庁の管轄だから古墳の中に入ることはできないんだ」

    「そのかわり“桜井市立埋蔵文化財センター”が常設で纒向遺跡から出土した資料を展示しているよ」

    「アクセスは京都駅から行く場合を紹介しよう」

    「近鉄京都駅からは、近鉄京都線か橿原線に乗って“大和八木駅”で降り、大阪線に乗り換えて“桜井駅”で下車」

    「そこから奈良交通バスに乗り“三輪明神参道口”で降りると歩いて1分だ」

    「“桜井駅”からJR桜井線を使った場合は“三輪駅”下車、歩いて10分だよ」

    「JR京都駅からは、奈良線に乗り“奈良駅”で下車、桜井線に乗り換えて“三輪駅”で下車だ」

    「文化財センターに行くときには必ずHPで確認すること」

    「古墳巡りは観光サイトで様々なコースを提案しているから参考にするか、ツァーに参加することもできるのではないかな」

    「いい機会だからできるだけたくさん見てくるといい」

たかや君「わかりました。張り切っていってきます」


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