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縄文時代遺跡ー東日本

あさみちゃんは小学校5年生の女の子。今日も宿題はそこそこに
元小学校の教師で今は学習塾を開く神山久美先生のところに遊びに来ています。

あさみちゃん「あのね、鹿児島から転校してきた子、ほら、河合慎吾君なんだけど」

久美先生「その後は仲良くなれたかな?」

あさみちゃん「うん。先生から聞いた西日本の様子を話したよ。すごく早い時期、“草創期”だっけ、九州には草創期の遺跡が多いって言ったの」

      「ほら見ろ!ってえばってたけど、最も縄文らしい中期には東日本が栄えていたっていうことも言ったら、ちょっと悔しそうにしていた」

久美先生「そんなことで張り合ってどうするの」

あさみちゃん「そうじゃないの。私ね三内丸山遺跡の話をしたの。そうしたらすげえって言ってた。そしたらね、他にも面白い遺跡はないのかって」

      「三内丸山遺跡みたいに大きくなくても特徴的な遺跡ってないの」

久美先生「そうね、確認されているものの中ではさすがに『三内丸山遺跡』が最大だけど、わりと大きい遺跡や面白い遺物が見つかった遺跡がいっぱいあるわよ」

    「じょあ、今度は東日本の遺跡について見ていきましょうか」」

あさみちゃん「わあ~い、やったあー」


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久美先生「縄文時代の草創期や早期の遺跡では西日本の方が多かったわよね。東日本では中期のものが比較的多いかな」

    「まずは大きさ。今年2016年の8月に分かったんだけど、それが埼玉県の『デーノメタ遺跡』」

あさみちゃん「でーのめた遺跡?面白い名前だね」

久美先生「そうね、何でも古くからある池の名前だそうよ。とにかくこの遺跡が関東最大級であることが最近になってわかったの。中期から後期の遺跡で約4ヘクタール」

あさみちゃん「三内丸山はどのくらいだったっけ?」

久美先生「約37ヘクタールだからさすがにそれにはずっと及ばないけど、関東ではとても大きいのよ。埼玉県にはその後にも吉見百穴など古墳がたくさん確認されているから、人がたくさんいたことが想像できるわ」

    「貝塚では千葉県千葉市の『加曾利貝塚』。なんと世界最大規模の貝塚といわれているの」

    「北貝塚と南貝塚の二つがあるんだけど、北貝塚は中期後半、南貝塚は後期後半の土器の編年の指標になるくらい有名なの」

あさみちゃん「どれくらい大きいの?」

久美先生「北貝塚は直径約130m、南貝塚は直径約170mで二つが連結してハチの字を描いているような形状。面積は約13.4ヘクタールというから東京ドーム約2.8個分かな」

あさみちゃん「すごく大きいんだねえ」

久美先生「北貝塚はドーナツ形をしていて初期には小さな貝塚と住居もあったんだけどその上に1000年かけて築かれたんですって」

    「その後北貝塚は利用されなくなってその南に南貝塚が作られ始めた。こちらは馬蹄形の貝塚なんだけどこちらも1000年かけたというから大規模にもなるわよね」

    「南貝塚ではイヌの骨が人間と一緒に埋葬されていたということで注目されているのよ」

あさみちゃん「かわいがっているイヌだったのかなあ。何だかかわいそう」

あさみちゃん「面白い遺跡は?」

久美先生「遺跡が面白いというと何か誤解を招くわね。東北地方の遺跡は縄文時代中期の特徴をよく表しているんだけど、環状集落といって、墓地のある広場を中心に竪穴住居や掘立柱の建物が環状に配置されているの」

    「面白いというのは遺構で、三内丸山の南側で発見された『小牧野遺跡』には環状列石があったということは前にお話ししたよね」

あさみちゃん「覚えている。でも、カンジョウレッセキってなんだっけ?」

久美先生「環状列石というのは別名ストーンサークルとも呼ばれるもので、イギリスなどにもあって、聞いたことないかな?」
    
    「日本のはだいたい長径30~40メートルぐらいで、川原石を二重三重に並べた帯が外帯と内帯の2本で構成されていて内帯の内側が長径5メートルくらいの方形か円形の広場になっているの」

    「そして、これらの配石の下に墓穴があったり、外帯と内帯の間に土器棺があったりするんですって」

あさみちゃん「なんだか、不思議な雰囲気がするね」

久美先生「ホントね。秋田県鹿角市の有名な『大湯環状列石』は、野中堂と130メートル離れている万座の二つで構成されていて、万座の方が日本最大」

    「これらの近くには一本木後口遺跡というお墓もあって2つのストーンサークルからは副葬品といって、死者に添えて埋葬された品々をうめた土坑もあるのね」

    「はっきりしたことはわからないけど共同墓地ではないかと考えられているわ」

    「それにその後、万座の方の周囲に掘立柱建物跡も発見されてね、葬送儀礼の施設ではないかと言われている」

    「他にも、帯と帯の間に1本の立石を中心にして放射状に石が配置されているので、こちらは日時計の役割を果たしていたと推測されているの」

あさみちゃん「『大湯環状列石』って死者を祭るのと日時計と二つの役割があったってことだね」

久美先生「そうね。『小牧野遺跡』の環状列石はちょっと独特。一部は四重になるように石が配されていて全体では55メートルにもなるんですって」

    「それに、石垣を築くように平らな石を縦横交互に並べるという列石は『小牧野式』と呼ばれているそうよ」

    「石を使った配石遺構全体という観点から見ると、直径10メートル以下のものもあってね、使われなくなった竪穴住居の周囲に石が置かれていることが多いんですって」
     
あさみちゃん「何か特別な感じがするな」

      「縄文時代の人が土器ばかりでなく石器も使っていたって、学校の先生も言っていたけど、石にはそういう使い方もあったんだね」

あさみちゃん「他には何か面白いものとか場所とかある?」

久美先生「あさみちゃん、八ヶ岳って行ったことある」

あさみちゃん「あるよ。お父さんの会社の保養所があって夏休みに家族で行ったんだ。すごく涼しくて、キャベツやレタスがおいしかった」

久美先生「そうね、標高が高いから夏でもとても涼しいんだけどそんな高いところにも遺跡があるのよ」

あさみちゃん「へえ、昔の人も涼しいとこ好きだったのかなあ」

久美先生「中期から後期前半の遺跡が多いんだけど『棚畑遺跡』は標高880m、『中っ原遺跡』は950m」

    「『尖石与助尾根遺跡』は1000mで『大深山遺跡』に至っては標高なんと1300mで最も高いところにある遺跡の一つなのよ」

あさみちゃん「そんなに高かったら冬なんか寒かっただろうね」

久美先生「現在考えるとそうだけど、縄文時代が寒冷化してくるのは4000年前の後期から。中期はまだぎりぎり今より1℃~2℃高かったかな」

あさみちゃん「暖房器具もないのに1℃や2℃じゃ耐えられないよう」

久美先生「あさみちゃん正しい!きっとすごい工夫して過ごしていたのね。『棚畑遺跡』は黒曜石の交易の拠点として繁栄した集落だったそうよ」

あさみちゃん「いろんなところから人がたくさん来ていたんだ」

久美先生「それに“縄文のビーナス”といってあの遮光器土偶とは異なる釣り目の土偶でも有名なの」

あさみちゃん「遮光器土偶知ってるよ」

久美先生「『大深山遺跡』には通称“ウルトラマン”と呼ばれる人面香炉型土器(釣手土器)があるわよ」

あさみちゃん「東日本の遺跡って盛りだくさんだね。一つ一つが大きくて人がたくさんいる感じ」

久美先生「人口比を見ても中期では圧倒的に東日本が多いわね。冷涼化する後期から減少してきて反対に西日本が少し多くなるの。東日本の人たちが南下したのではと考える研究者もいるのよ」

あさみちゃん「ちょっと難しくなってきた。先生、私“縄文のビーナス”や“ウルトラマン”見たいなあ」

久美先生「“縄文のビーナス”は尖石縄文考古館で、“ウルトラマン”の方は川上村文化センターで見られるわよ」

    「尖石縄文考古館はJR中央線茅野駅から「奥蓼科渋の湯行き」バス、あるいはメルヘン街道バスを利用して尖石縄文考古館まで」

    「川上村文化センターへはやはりJR中央線を使って小淵沢駅まで、そこから小海線に乗りかえて信濃川上駅下車。詳しいことはHPで調べてね」

あさみちゃん「は~い。ビーナスにウルトラマン、しっかり見てきます!」


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