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縄文時代の人々の暮らし 食と住

以前小学校の教師で今は小さな学習塾を開いている神山久美先生のところに、今日もあさみちゃんが遊びに来ました。

明るく元気な小学5年生のあさみちゃんは久美先生の元教え子。でも今日はいつになく深刻な顔つきです。

久美先生「こんにちは、あさみちゃん。何だか元気がないわね」

あさみちゃん「あのね、先生、縄文時代に生きた人たちのこと考えていたの。学校の先生が縄文時代は争いのない平和な時代だったって」

      「教科書には土器を作ったり、狩りに出かけたりしているイラストが載っていたけど、1万年の間ずーっとそんな暮らししていたのかなあ」

久美先生「そうねえ、次に続く弥生時代は争いの多い時代といわれているし」

    「対照的に縄文時代の遺物には武器のようなものは見受けられない、人骨に争った形跡もないとなると平和な時代といえるわね」

    「でも1万年もの間には色々変化はあったと思うけど。じゃあ、今回は人々がどのように暮らしていたのか見てみようか」

あさみちゃん「うん、見てみよ!見てみよ!」


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久美先生「まずはその住まいから」

    「縄文時代の草創期はまだ半定住なので集落の形は成さないの。鹿児島県の掃除山遺跡がそうだったわね。住居跡は2棟だけで冬の間だけ住んだのではないかと考えられているわ」

    「配石炉という調理施設もあって、その間もちゃんとお料理はしていたことが分かっています」

あさみちゃん「なんでも簡単に済ませちゃう今と大違いだね」

久美先生「本当ね。あさみちゃん、“竪穴住居”っていう言葉、今までにも出てきたけど覚えている?」

あさみちゃん「覚えているよ。それに学校でスライドで見た。でもね、雨が降ったり風が強いときなんか吹き飛ばされちゃうんじゃないかなって思ったの」

久美先生「そうね。じゃあ、その作り方を見てみましょう」

    「“竪穴”っていう言葉だけではちょっと想像できないけど、地面を掘り下げるということなのね。だいたい50㎝~70㎝。時代がずっと下ると1mなんていうのも出てくるそうよ」

    「形は、前期では方形や台形、楕円形のものが多いかな。掘った土は上に挙げて盛っておきます」

    「そこに柱を立てるための穴を掘るんだけど時代によって少し違って、前期では6本、中期になると4本か5本が主流になるそうよ」

    「柱は上の方が二股に分かれて、それを立てたら梁といって床に対して平行に、柱に対して垂直に木を渡す」

    「その次に垂木を放射状に置いて屋根を組み立てるのだけど、その時上に挙げた盛り土に差し込んでいくのね。つまり屋根が掘り下げた壁よりも外側にいくので、雨などは入ってこないというわけ」

あさみちゃん「へえ~、うまくできているんだあ」

久美先生「その垂木に細い木などをしばりつけて補強。クリの樹皮などをしいてその上に土を載せれば土葺きの家が完成。よく複製で茅葺の竪穴住居が目にするけど、実際にのところ何が屋根に載っていたかわからないの」

    「でも、焼失した住居跡などから検証すると土なのではないかと考えらているの。そうすると茅葺よりもどっしりして風などにも強そうね」

    「内部はというと、床は踏み固めたり粘性の強い土を貼ったりする場合がほとんどだけど、全面や一部を石で敷き詰めた敷石住居なんていうのもあるのよ」

あさみちゃん「何だか痛そうだねえ」

久美先生「きっと敷物を敷いて座ったんだと思うわ。縄文時代の中期後半から後期の中葉まで、地域も関東・中部を中心に東北南部から北陸北部、東海南部のかけて流行ったというから、一時的地域的なものだったのね」

    「また、床には周りに溝を掘って排水をしたり、中心か一方に寄ったところに炉を掘って煮炊きをします。隅には貯蔵穴といって底を切った土器を埋めて木の実などを保管。今でいうところの冷蔵庫の役割ね」

あさみちゃん「窓はなかったの?」

久美先生「けっこう頑丈にできているし、便利に使われているようだけど光を取り入れることについては大変だったようね」

    「さっきの住居の作り方はごく簡単なものだけど、合掌造りのようなものになると梁の上に換気窓があるからそこから炉の煙は出ていくし光も差し込むんじゃないかな」

    「雨の日以外の昼間には外に出て共同作業に参加するか狩りや漁に出かけていたと思うわ」

あさみちゃん「そうなんだあ、住み心地はどうだったんだろう?」

久美先生「ちょっと実験で、住んでみた人の感想を聞いたら、意外に冬は暖かったし、夏は涼しかったんですって。まあ、現在よりも少し気温も高かったというから、快適だったんじゃないかしら」

あさみちゃん「食べ物はどんな物を食べていたの?」

久美先生「木の実ではドングリやシイやクリ、それにクルミ、イモ類や山菜類、果物ではブドウやキイチゴなど。お肉はイノシシやシカ、ムササビにノウサギ、鳥類ではキジやハト、ガンにカモなど」

    「魚介類は豊富で、マダイ・ブリ・サバ・ヒラメ・ニシン・マス・フグ、サメ類なんかも食べていたし、マグロやカツオ、クジラもとって食べていたんですって」

    「そしてもちろんたくさんの貝類。アサリやハマグリは言うに及ばず、アコヤガイやシジミもね。とにかくその地域地域で採れる食材はほとんど口にしたんじゃないかな」

    「よくナマコを初めて食べた人はさぞや勇気がいただろうという話があるけど、きっと食べられるものはどんどん口にしたと思うのね」

    「そうやって食を広げていったと考えた方が合理的」

あさみちゃん「三内丸山遺跡を勉強した時にもたくさんの木の実や獣のお肉、たくさんの貝類やお魚を食べていたって聞いたよね。でも、どうやって食べたの?」

久美先生「そもそも土器が作られるようになったわけは、木の実のあく抜きの必要からだといわれているの」

    「それに木の実は季節ものだから貯めて置くための器も要る。つまり縄文土器はあく抜きと貯蔵のために作られたのよ」

    「長野県の遺跡の中には炭化したパン状やクッキー状のものが出土していることから、木の実をあく抜きしたのち、すりつぶして鳥の卵などを入れて丸め、焼いたか蒸したのではないかといわれているわ」

    「ハンバーグも作っていたということだから、お肉や魚のミンチに卵を入れたのね」

    「その道具として石皿や敲石(たたきいし)それに磨石(すりいし)なども発見されているの」

あさみちゃん「パンやクッキー、ハンバーグなんてなんかおいしそうだね」

久美先生「いろいろ工夫して食べたんじゃないかな」

    「お肉や魚は焼いてもいいんだけど、たいていは煮たと思う。そうすれば美味しいスープも飲めるしお腹も満たされるし、一石二鳥」

    「あと、蒸し料理もしたし、燻製も作ったと考えられているわ」

あさみちゃん「むしりょうり?」

久美先生「そう。今でも調理法の一つとしてポピュラーだけど、集石遺構の中から焼いた石が出てきたのね。食材を葉っぱなどに包んであらかじめ焼いた石の上に置くなどしたら何時間後には出来上がり」

    「燻製の方は連結土坑といって大小二つの穴を地下で連結している、つまりトンネルで繋がっているわけだけど、土坑の底から何かの炭化物とか焼土が見つかっているの」

    「だから一方で火を焚いて、他方の穴に置いた食材をその煙で燻したのではないかと推測されるというわけ」

あさみちゃん「燻製にすると日持ちするんだよね。お父さん言ってた」

久美先生「あさみちゃん、よく知っているわね。そういうこと。きっと食べきれないほどたくさんとれた時にお肉やお魚の燻製を作ったんじゃないかな」

あさみちゃん「それにお酒も作っていたんだよね」

久美先生「そうそう、三内丸山遺跡では、エゾニワトコやサルナシ、キイチゴなんかで果実酒を作ったと考えられているわ」

あさみちゃん「縄文時代の食材だけでフルコースができそうだね」

久美先生「そうね、豊かな食生活がうかがえるかな」

あさみちゃん「縄文時代の人々は、自分の住んでいるところで自然とともに工夫して生きていたんだね」

あさみちゃん「先生、竪穴住居の様子や暮らしがわかるような所ってあるの?」

久美先生「そうねえ、『遺跡公園 縄文の村』というのがあるわよ。当時の森の様子を再現していて、敷石住居と前期。中期の竪穴住居が移築。復元されているの」

    「それに曜日によってだけど炉を囲んで火焚きもしていて、縄文人の気分を味わうことができるわ」

あさみちゃん「へえ、すごいねえ。場所はどこ?」

久美先生「“東京都の埋蔵文化センター”なんだけど、京王相模原線の『京王多摩センター駅』で下車、徒歩5分。立川からだと、多摩モノレールに乗って『多摩センター駅』で下車、徒歩7分よ」

    「イベントもたくさんやっているし、体験もあるからきっと楽しいわよ。詳しくはH.Pを見てね」

あさみちゃん「了解!行ってきます!」


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