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縄文時代とは、その意味と遺跡分布

神山久美先生は元小学校の先生で、今は自宅を改装して小さな学習塾を開いています。
あさみちゃんは近くに住む小学校5年生の女の子。

1年生の時久美先生が担任していた生徒で時々遊びに来ては質問をします。

今回は勉強し始めたばかりの「縄文時代」ついてちょっと疑問があるようですよ。


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あさみちゃん「先生、今週から日本の歴史についての勉強が始まったんだけど、なんだかぴんと来なくて、よくわからないの。石器を使っていた旧石器時代から土器を作るようになっていったのが日本の縄文時代なんだよね」

久美先生「そうよ。表面に縄目の文様があるので、それを縄文土器といい、それが使われていた時代を縄文時代というの」

あさみちゃん「学校の先生は縄文時代はとても長く続いたって言っていたけど、ずっと縄目のある土器を作り続けていたの?」

久美先生「縄文時代は今から約1万5千年前から約2300年前まで、なんと1万年以上も続いたのね。最初の頃は粘土の細紐を貼りつけた隆起線文や穴の開いた円孔文、貝殻で文様を描いた爪形文というのもあったのよ。

その後、草創期の後半には側面のほとんどを縄文でうめる多縄文土器が現れるんだけど、撚糸や撚糸を巻いた棒を棒を転がした撚糸文やスタンプのように彫刻をした棒を転がして文様を付ける押型文というのもあるのよ」

あさみちゃん「いろいろ工夫がされているんだね」

久美先生「そうね、他にも竹管やへらでさっと引っ掻くなんていうものあって多種多様。約5000年前の縄文中期には火炎土器といってとっても装飾的な土器が新潟県の沖ノ原遺跡から出土しているんだけど、見たことあるかな?」

あさみちゃん「スライドで学校の先生が見せてくれた。教科書にも載っているよ」

久美先生「約4000年前からの縄文後期になると文様に派手さは失われ、磨消縄文が多くなり、後期も末になると縄文はなくなってしまうの。約3000年前の晩期には黒色磨研土器や粘土紐を貼っただけの突帯文土器が出てきたりしてね」

あさみちゃん「縄文時代の晩期?縄文が使われていないのになぜまだ縄文時代というの?」

久美先生「いい質問ですねえ」

    「縄文時代は狩猟採集で移動生活をしていた旧石器時代から農耕による定住生活への過度期に当たるの。気候も温暖化に向かい、マンモスやオオツノシカなどの大型動物が絶滅。二ホンジカやイノシシやウサギといった中・小型動物が狩猟の対象となるのね。

イチイガシやアラカシ、クリやクルミといった食べられる木の実も手に入るようになる。」

あさみちゃん「前よりも簡単に食べ物が手に入るなら、移動する必要もなくなるというわけだ」

久美先生「そう!急にそうなったということではないけれど、徐々に定住していったと考えられるの。土器を作り始めたのも定住するようになったからで、あんな重いもの持って移動なんて大変だものね。

では、なんでまだ縄文時代なのかというと、次の弥生時代というのが大陸からの新しい技術が入ってきたことによって生活を一変させられてしまう時代だからなの」

あさみちゃん「それで、それまでの時代を縄文時代というのね」

久美先生「そういうこと」

あさみちゃん「旧石器時代から縄文時代になって住みやすくなってきたというのが、なんとなくわかってきた気がする。じゃあ、日本列島ではどんなところにみんな住んでいたのかあ。やっぱり暖かいところ?」

久美先生「木の実を採ることができる森の近く、日当たりが良くて水辺に近いところに家族単位で数軒が集まり集落を作って暮らしていたと考えられているわ。

縄文時代の遺跡となるとこの集落を指すのだけれど、現在の47都道府県、北海道から沖縄県まで、どの都道府県にも遺跡が存在していたことが調査からわかっているの。
     
もちろん多いところ少ないところ、1万年もある縄文時代だからそのばらつきはあるけど。北海道には今から約9000年前の縄文早期前半の『垣ノ島遺跡』が、沖縄県には約2500年前縄文後期の『仲原遺跡』が存在しているの」

あさみちゃん「日本のどこにも人は住んでいたのね。日本って本当に住みやすかったんだ」

久美先生「小さな川が流れている所が多いから、そういえるかもね」

あさみちゃん「どんなふうに生活していたのかあ。実際に遺跡ってみることができるの?」

久美先生「調査が終わった後に埋めてしまったり、新しい建物などが建っている所がほとんどだけど、公園として残されている所、史跡として大切に保存されているところも多いのよ」

あさみちゃん「誰でも見に行けるの?」

久美先生「大丈夫!そうねえ、こんなところはどうかしら。今から約5000年前の縄文中期の前半の遺跡で『勝坂遺跡』というのがあるんだけど現在は史跡勝坂遺跡公園(歴史公園)として保存されているのね。

住居跡も復元されていて当時の様子がよくわかると思うわ。電車ではJR相模線下溝駅から約1.5キロメートル。下溝駅からは徒歩20分程。バスでは、「下溝」から「相武台前」行きに乗って「勝坂入口」下車。バス停からは徒歩約5分。だいたい見学は無料だけど、休みの曜日や時間など詳しいことはネットで調べること。

竪穴住居を実際に見るとイメージしていたよりも大きく感じると思う。ぜひ中に入って縄文時代の雰囲気を味わってね」


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