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縄文人の精神世界

小学5年生のあさみちゃんがやって来たのは小さな学習塾。以前学校であさみちゃんを担任をしていた神山久美先生が経営しています。

あさみちゃん「先生こんにちは!今日はね、お土産持ってきたよ」

久美先生「こんにちは、あら、ありがとう。熊の置物ね。どなたか北海道に行ってきたの?」

あさみちゃん「えっ、どうしてわかったの?お父さんが出張でね」

久美先生「この置物は名物だから」

あさみちゃん「でも、熊って本州にもいるでしょ」

久美先生「もちろん本州にもいるけど、アイヌの人たちと関係が深いからかな」

あさみちゃん「へええ、そうなんだ。先生、縄文時代にもクマいた?」

久美先生「いたわよ。あ、そうだ、縄文の人たちもクマの土製品を作っていたのよ」

あさみちゃん「ええ、土器って生活の道具の他は土偶を作っているだけかと思った」

久美先生「生業のための道具、つまり直接生活に関わるものだけでなく、縄文の人々の心に関わるものもいっぱい作っているの」

あさみちゃん「どんなものがあるの?」

久美先生「そうねえ、じゃあ今日は縄文の人たちの心、難しく言うと“精神世界”をちょっと覗いてみようか」

あさみちゃん「“せいしんせかい”?ウァ!難しそう、先生あんまりはりきらないでね」

久美先生「了解です!」


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久美先生「まず、どんなものがあるか見ていきましょう」

    「石棒・石刀・石剣・石冠、それに独鈷形石製品や御物石器、これらは石でできています」

あさみちゃん「縄文時代に入っても、石で色々なものを作っていたんだよね」

久美先生「石棒は男性のシンボルで、石刀や石剣もそうだといわれている。でも、石冠や独鈷形、御物石器については用途がよくわからなくて謎なの」

あさみちゃん「“とっこ”と“ぎょぶつ”って? 」

久美先生「“独鈷石”の独鈷とは、仏具の一種で、その形に似ているからつけられたの。“御物石”は明治時代に天皇に献上されたということからこの名が付いたそうよ」

    「“御物石”の方は文様が入っていてどれも形が一様だから、他の石器とともに儀礼用だと考えられているわ。“独鈷石”の方はちょっと不明」

    「石版や岩版と呼ばれるものは縄文時代でも晩期に入ってから盛んに作られたもの。両面あるいは片面に文様が施されているの」

    「だいたい同じ時期同じ地域で見られる土版ととても似ているから、二つは同じ用途、つまり護符、お守りのようなものだと考えらえているのよ」

あさみちゃん「謎とかお祈りのようなものが多いね。他にはある?」

久美先生「“人面付石製品”とよばれているものは福島県『冷水遺跡』出土で時期は後期、なんとアザラシの身体に人の顔が付いているの」

あさみちゃん「ひええ~、ちょっと不気味~。それも石で作ってあるの?」

久美先生「そう、長さが22.5㎝というから、小さくはないわね」

あさみちゃん「何に使ったんだろう?」

久美先生「うう~ん、よくわかってないみたいなのよねえ」

あさみちゃん「先生、クマは土製品だって言ったよね」

久美先生「実は石で作ったものもあって“クマの頭部形石製品”と呼ばれていて、北海道で出土しているの。でも他には少ないかなあ。やっぱり土製品」

    「“動物形土製品”といってね、とてもたくさんあるのよ。クマもそのひとつ」

    「後期や晩期の東日本に多く出土していて、クマの他にイノシシやイヌなどもあるけど、何だかはっきりしないというのものもあるの」

    「北海道ではクマの他にもシャチの土製品があって、やっぱり土地柄かしら。とっても正確にシャチの特徴が描かれているそうよ」

あさみちゃん「それって、シャチを見たってことだよね。岸の近くになんかいないでしょ。船に乗ってシャチのいる遠くまで行ったんだね」

久美先生「舟はこれまでに160艘ほど発見されているそうだけど、丸木舟で外洋に適しているとは言いにくいの」

    「縄文海進で内陸にまで海が入ってきた関係でそれほど遠くまで、、それも危険を冒してまで行く必要はなかったのだと思う」

    「でも、一方では黒曜石やヒスイの交易などを考えると、外洋へ出る技術は十分に持っていたとも考えられる」

あさみちゃん「縄文人ってすごいね」

久美先生「そうね。話は戻って、クマの土製品は特に東北地方や北海道に多く見られるんだけど、動物の骨となると、イノシシやシカの方が圧倒的に多いの」

    「クマは食料の対象ではなく信仰の対象ではなかったかと考えられているのよ」

あさみちゃん「今でも北海道でお土産なっているのはそういうことから?」

久美先生「アイヌの人たちの信仰ではオオカミやシャチとともにクマに対する深い信仰があるのは確か。ずっと続いているのね」

    「他にも北海道の『美々4遺跡』出土の“土製品”はとっても変わっていて、立った状態で頭から足の先まであるんだけど、何だかわからないの」

    「カメだかムササビだかアザラシかもしれないし」

あさみちゃん「変なのがあるんだね」

久美先生「動物の他には“巻貝形土製品”というのもあります。後期の東北地方の遺跡に多数みられるそうよ」

    「新潟県村上市で出土したものには赤く彩色が施されているものがあったということで、儀礼的なものではないかと推測されているの」

あさみちゃん「身近な色々なものを土で作って“思い”を込めたんだ」

久美先生「そうねえ、身の回りの物すべてに恐れ多いという畏敬の念を抱き、感謝していたんじゃないかな」

    「あ、そうそう“土面”というのもあって、これも後期から晩期の東日本の遺跡に見られるんだけど、いっぱい発見されています」

あさみちゃん「お面?」

久美先生「人の顔と同じくらいにの大きさで左右に紐を通す穴が開いているからきっとかぶったのよ。儀礼や何か踊る時に着けたのではないかということよ」

あさみちゃん「“儀礼”っておまつりとかだよね。どんな時におまつりしていたのかな」

久美先生「食べることが重要だったから収穫のお願いだとか感謝、それに土偶などを用いて子供が無事にたくさん生まれるようにという願いとか祈り」

    「あとね、亡くなった人に対する“再生”」

あさみちゃん「え、生き返るってこと?」

久美先生「ううん、きっとまた生まれ変わってきてくださいということじゃないかな。それは同じ魂という個をさすのではなく、共同体の一員としてという意味でね」

あさみちゃん「どういうこと?」

久美先生「集落=共同体は文字通り運命共同体で維持活性化するためには元気な人間が不可欠なの。でも、子供を産むということはすごく大変でね、母親も子供も命がけ」

    「死亡のリスクはすごく高くてほとんど元気に生まれてくる、母子ともに健康なんて稀だったと思う」

    「それに生まれてきても大人まで育たないことが多かったということよ」

あさみちゃん「出産と育児は集落の人たちみんなの一番重要な関心事だったんだね」

久美先生「ということで、大人と乳幼児とは埋葬の仕方が違うの」

    「大人の人の場合は土坑といって穴を掘って集落の中央辺りに並べて埋めらるけど、乳幼児の場合は住居の近くに甕などに入れて埋葬するの」

あさみちゃん「子供ことを本当に大事にしてたんだ」

久美先生「そうね。土偶はふつう女性の妊娠時の体型を模したものが多いけど、子供を抱く土偶やおくるみ(赤ん坊の防寒着)を着た土偶もあるのよ」

あさみちゃん「へえ、面白い!」

久美先生「“子を抱く土偶”といってね、東京の『宮田遺跡』出土で中期前半の遺跡。“おくるみ土偶”は青森県の晩期の遺跡『沖中遺跡』で発見されています」

    「子供を授かりたいという願いがあると思うけど、“おくるみ土偶”などは、死んだ子への思いもあるんじゃないかな」

    「これだけ見ると、先生は≪集落にとっての必要な働き手≫だけの解釈では済まされないと思うの」

    「それにね、“足形付土製品”と“手形付土製品”もあるの」

あさみちゃん「何それ?」

久美先生「発見された遺跡の例はそれほど多くないそうで、新潟県村上市で出土した足形は2歳から3歳くらいの子で右足を粘土板に押し付けて作られた作品」

    「手形・足形ともに早期から晩期にかけて、北海道から東北地方までかなり偏って発見されているわ」

あさみちゃん「何のために作ったの?」

久美先生「出てくる場所が様々なのでよくわからないけど、子供の成長を祝うものとか、穴が開いていて紐を通すようになっているのでお守りとか」
       
あさみちゃん「そういえばうちにもあるよ、私の足形」

久美先生「ある遺跡では土坑の中で発見されたんですって。死んでしまった子供の形見か死んだ親への子供の形見だろうと考えられているの」

    「副葬品としても使われていたということね」

あさみちゃん「先生“足形付土製品”はどこで見られるの?」

久美先生「上野の東京国立博物館にいけば見られるわよ」

    「JR上野駅公園口、あるいは鶯谷駅南口下車で、歩いて10分。東京メトロ銀座線・日比谷線の上野駅では歩いて15分」

    「詳しいことはHP.を見て確認してください。土面や土偶“巻貝形土製品”も展示されているからいっぱい見てきてね」

あさみちゃん「了解です!帰りに上野公園でおだんご食べて帰ります」


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