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火焔土器で有名、馬高遺跡

元小学校の先生で今は学習塾を開いている神山久美先生のところに教え子だった小学校5年生のあさみちゃんが遊びに来ました。

あさみちゃん「先生、何を見ているの?」

久美先生「あ、これはね、土器の写真。こうしてみると色々あるわねえ。これなんかあさみちゃんが以前見たと言っていた土器よね」

あさみちゃん「知ってるよ。ええとねえ、名前は…。なんだっけ?」

久美先生「火焔土器。『火焔土器』と呼ばれるのは通常これだけで、あとは『火焔型土器』とか、王冠型土器なども含めて『火炎土器』と言ったりするのよ」

あさみちゃん「なんだか難しいね」

久美先生「本当にねえ」

    「そういえば、縄文土器というとこの火焔土器をイメージする人が多いと思うけど、この土器にはほとんど縄文は見られないの」

あさみちゃん「へえ~、おもしろい」

久美先生「縄文はないけど鳥のとさかのような飾りやギザギザのついた把手まであってすごく特徴的よね。新潟県の馬高遺跡から出土しているの」

    「今日はこの『火焔土器』や『火焔型土器』、『火炎土器』についてお話ししましょう」

あさみちゃん「わあ~ついていけるかなあ」

久美先生「大丈夫、大丈夫」


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久美先生「馬高遺跡というのは、新潟県の長岡市、信濃川の西側に位置する遺跡なんだけど、まずはやっぱりこの『火焔土器』で有名よね」

    「1936年に近藤篤三郎によって発見されて、その第1号のものを通称で『火焔土器』と呼んだの。それ以降のものはだから『火焔型土器』」
    
    「今まさに火が燃えて炎が立っているようなデザインは独特よね」

    「でもちょっと紛らわしいので、これからこのような土器をすべて『火焔型土器』として話を進めていくわね」

あさみちゃん「賛成!」

久美先生「時代はというと縄文時代の中期、今から約5000年ほど前というから、だいたい青森県の三内丸山遺跡と同じくらい」

    「このころが縄文時代でも最も栄えた時期で、前期から中期にかけて日本列島では大きく9つに分けてそれぞれ独自の文化圏を築いていたといわれているの」

あさみちゃん「この時期が人がいっぱいいて、別々に色々なものが作られていたということ?」

久美先生「そう。共通するものがちょっと見受けられなくて独自に発達を遂げたという感じ。現在よりも海水面が3メートルも高くて気候も温暖であったとみられているわ」

あさみちゃん「住みやすかったんだ」

久美先生「そういうことね」

    「それと、さっき『鳥のとさか』って言ったけど、これは鶏頭冠といってすごく強調されているのが分かる?深鉢の口縁部から飛び出して突起状、つまり把手になってそれが4つもあるわね。

    「口縁部のギザギザは鋸歯状口縁、ただ丸く飛び出ているのは眼鏡状突起、袋のようなのが袋状突起。頸部は渦巻き状の隆線文、胴部はS字状や逆U字状の隆線文が施されている」

    「縄文土器全体から見てもこんなに装飾の有るのは珍しいわね」

    「火焔型土器というとこのような特徴を持つわけだけど、同じ場所で出土したのがもう1種類あるの」

    「それが『王冠型土器』と呼ばれるもので、二つを合わせて『火炎土器』と言ったりするのね。こちらは鶏頭冠もなければギザギザもない。口縁部からそのまませりあがって4つの突起をもっているというデザイン」

    「突起は大きいものもあるし小さいものもある。火焔型土器よりも派手さはないけれど隆線文が全体に施されていてやはり一連のものであることは確かよね」

    「この二つがどのように関係しているのか詳しいことはまだわからないけど、お互いを意識しながら作られていたのは推定できるわ」

あさみちゃん「先生、私には難しすぎる!」

久美先生「ごめん、ごめん」

    「それでね、面白いのはここ。こんなに派手だからきっと何か特別な時に使われていたのではないかと思うでしょ」

    「でもね、中にはおこげがついているものもあって、出土場所も集落の色々なところからなので、どうも煮炊きに使われいたらしいの」

あさみちゃん「こんなすごいのがお鍋なの~。何だか重そうだし使いにくそう」

久美先生「そうね、日常使いではなくおマツリの時など非日常の料理を作る時に使われたと考えられているの。たとえば、ええっと、ほら、お正月のおせち料理とか」

あさみちゃん「ああ、そういうことか」

      「ところで先生、火焔型土器や王冠型土器は馬高遺跡の他にも出てきたの?」

久美先生「ええ、馬高遺跡からだけでなく新潟県内新潟市や十日町市、津南町(中魚沼郡)の遺跡からも出土しているわ」

    「他にも、長野県北部や福島県西部からは多いし、富山県・山形県・群馬県・栃木県からも出土しているんだけど、やっぱり集中度と言ったら信濃川の中・上流域に限られているの」

あさみちゃん「へえ、それって、そのあたりが『なかま』っていう感じ?」

久美先生「あさみちゃんは面白いこと言うわねえ。難しい言葉でいうとその地域が一つの文化圏を作っていたということね」

    「さっきも言ったように、このころは9つの文化圏ができていたわけだけど、これほど特徴的な土器を作るなんて、その背景に何があったのか本当に興味深いと思わない?」

あさみちゃん「そうだなあ、新潟県って寒いところでしょ。雪もたくさん降るし。だから炎みたいな土器を作ったのかなあ」

久美先生「ああ、それあるかも。あさみちゃん、鋭い!」

    「それとね、特徴的、独特っていう言葉を使っているけど全く忽然とこの型の土器が出現したかというとそうではないらしいのね」

    「北陸地方の新保・新崎式土器や東北地方南部の大木式土器に影響を受けたという説があるわ」

    「そして信濃川中・上流域で発達していき最盛期を迎えたのちに、突如ほかの土器に何の影響も与えずに姿を消すんですって。その消滅の原因については未だ解明されていないということよ」

あさみちゃん「何だかミステリーだね」

久美先生「それにね、火炎土器(火焔型土器と王冠型土器)というのは遺跡から発掘された土器全体の約10%くらいで、他は縄目の有る縄文土器だということなの」

    「つまり、集落内で縄目の縄文土器とともに、これら火炎土器が同じ人たちの手で作られたとは考えにくいわけ」

    「北陸地方や東北南部との影響も考え合わせると、土器づくりのプロ集団がいたのではないかってなるのね」

あさみちゃん「なんだかすごくなってきた」

久美先生「影響を受けているといっても鶏頭冠把手ひとつとってもすごく強調されているわよね。そうなると、さっきのあさみちゃんの意見がとても重要になってくる」

あさみちゃん「寒いから炎みたいな土器を作ったということ?」

久美先生「そう。土器づくりのプロ集団は集落の要請があったのか、それとも自分たちのインスピレーションからか、それはわからないけど、とにかく火炎土器は受け入れられた」

あさみちゃん「そして突然姿を消す。やっぱりミステリーだ!」

      「分からないことが多いけどドキドキしちゃうね。実際に見ることはできるの?」

久美先生「上野の東京国立博物館でも見られるけど、本場新潟県で展示されているわよ」

久美先生「まずはやはり馬高遺跡ね。『馬高縄文館』というのがあって、JR長岡駅大手口から柏崎行のバスに乗って関原南下車。徒歩5分」

    「火焔型土器14点、王冠型土器3点を出土している笹山遺跡では、『十日町市博物館』で見ることができます。JR飯山線・ほくほく線の十日町駅(西口)で、徒歩10分」

    「どちらもホームページで確認してね」

あさみちゃん「実物を見て、謎を解明して見せましょう。名探偵参上!なんちゃって!」

久美先生「あさみちゃん、がんばって!」


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