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弥生時代の高地性集落

うなりとともに一陣の木枯らしが乾いた葉を巻き上げ、人々がコートの一番上のボタンを手で押さえ背中を丸めて歩く冬の日。

通り過ぎる足音と車の騒音を外の世界に留め、何十年ものカビの臭いが染み付いた店内では低く空調が響くだけ。

奥まで伸びる午後の陽に、誘うは眠りの妖精か。と思ったら、何やらブツブツと独り言が聞こえてきました。

画面いっぱいに数字が並ぶパソコンと横に置いた台帳を交互に見ては首を傾げるのは元木明人先生。

突然の父親の引退宣言により小学校を退職して今や老舗の古書店の店主修行の真っ最中収支明細をパソコンに取り込むべく四苦八苦の毎日でどうにも数字が合わない様子です。

そこへやってきたのがもと教え子のたかや君。中学生になった今も先生を慕って毎日のように顔を出します。

たかや君「先生こんにちは!今日は“高地性集落”について聞きに来ました」

明人先生「やあ、こんにちは!今日は何だかいきなりだね」

たかや君「約束しましたよ、僕が“環濠集落”について聞いた時に」

    「“環濠”って周辺との争いや緊張状態の表れってだけではなかったんですよね」

    「防衛や牽制の役割に加えて集落内での区分けにも環濠があったし、環濠を建設すること自体にも共同作業としての意味があった」

    「それに弥生時代ってずっと戦争というか争いをしていたイメージだけど時期や地域によって事情はだいぶ違っていたこともわかりました」

    「それで同じように弥生時代を特徴づけるものとして“高地性集落”があったけど、そっちも教えてほしいなと」

明人先生「わかったわかった。では今日は約束通り“高地性集落”について見ていこう」

たかや君「よろしくおねがいします」


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明人先生「まずは確認。弥生時代の変化といえば水田耕作と金属器の導入、環濠集落と高地性集落だね」

    「周辺集落との争いや緊張状態が環濠で自分たちの集落を囲むという事態を生んだ。“環濠”というものの役割の一つだ」
     
    「争いのない縄文時代には考えられなかったことだよね」

たかや君「それを思うとなんか嫌な時代ですよね、稲作で安定して食糧が確保されたのにもかかわらず」

明人先生「うん、余剰生産物が生まれたり鉄器が入ってきて物質的にも豊かになるのにね、それらをめぐる争いが生じてしまった」

    「“高地性集落は”弥生時代の中期から後期にかけて出てく集落で、標高100mを超える高地の山頂部や斜面に形成されているものをいう」

たかや君「不便なところですよね。水田なんかは作れないでしょう」

明人先生「そうなんだ。中期といえば列島でも水田耕作が安定してくる時期だからね」

    「そんな時にわざわざ高い水田の作れないところに集落が作られるなんて何か意図がある、ということになる」

たかや君「どの地域に作られたんですか?」

明人先生「中期は中部瀬戸内地方や大阪湾岸、後期は近畿地方とその周辺部だよ」

たかや君「その辺だけ?列島の中でも限られているんですね」

明人先生「そうなんだ、すごく限定的だといえるね。それに北部九州が入ってないのも特徴的」

たかや君「ホントですね。でもそれは強力な北部九州勢に対してそれより東の集落が戦さを逃れて避難していった、ということではないんですか?」

明人先生「いやいやそうじゃない。そもそも“高地性集落”を一概に“逃げ城”のように解釈するのは間違いだ」

    「“高地性集落”のほとんどが海を広く見渡せる展望の良い所にある上に、“のろし台”と見られるような焼けた土が確認されてる」

    「それに遺跡には生活に必要な一切のものも出土しているということから一時的な場ではなく整備された定住型の集落であったと考えられるんだ」

たかや君「つまり、逃げたのではなく監視塔のような役割ですか、それも長期の」

明人先生「戦さのための武器として石鏃も多く発見されているから軍事的性格の強い“山城”といった方が的確だということだ」

たかや君「でも、そこでは水田耕作は行っていないわけで、そうすると他の方法で食糧を得なければいけないことになる」

    「平地の生活と違って大変だ」

    「その集落だけでやっていくってちょっときびしいものがありますよ。それに“のろし”って誰に知らせるんですか?」

明人先生「いいところに目を付けたね。“高地性集落”をそれ単独で解釈するのはいささか無理がある」

    「平地の大きな集落、たとえば周囲に小さな集落を抱えるような拠点集落との関係から考えるべきだという意見が出ているよ」

たかや君「なるほど、衛星集落のようなものですね、意図的に軍事目的で作られた。ああーそれならよくわかる」
 
    「先生、それで後期になると近畿地方とその周辺に集約されていくのはなぜですか?」

明人先生「うん、中期というのはだいたい紀元前後から紀元後2世紀ぐらいまでだがその頃は北部九州から瀬戸内~近畿にかけて衝突が絶えなかった」

    「戦乱の時期については前期の後半からという説もあり、これは特に北部九州今の福岡県辺りで受傷人骨が多く発見されているからだ」

    「“環濠集落”についてはその性格は時期や地域によってそれぞれ意味が異なることを確認したけど、前期末以降に発達し中期以降に近畿に普及している」

たかや君「“高地性集落”の方が後ですね。衝突が大きなものになっていったのかな?」

明人先生「そうとも考えられる。とにかく後期になると力関係というか地域の状況というかそういうものが明確になっていくんじゃないかな」

    「軍事的衝突が次第に政治的な統合や連合へと性格を変えていくと推察されているよ」

たかや君「それが近畿地方を中心にということですか?」

明人先生「うん、まだ明確なことはわからないけどね」

たかや君「先生“高地性集落”は不便なところにあるからみんな小規模なんですよね」

明人先生「いや、そんなこともないんだ。『妻木晩田遺跡』というのがあるが、これは国内最大級の集落遺跡だといわれている」

    「なんと標高90~120mの高地性集落でありながら152haもの巨大な集落だ。あの『吉野ケ里遺跡』が50haだから約3倍以上だね」

たかや君「うわあ~それはすごいですね」

明人先生「中期の終わりから古墳時代の前期初頭まで続いた集落で、後期が最も栄えていた」

    「竪穴住居が700基、掘立柱建物跡が502基、墳丘墓は24基で“環壕”も備えている」

たかや君「つまり“高地性集落”であり“環壕集落”でもあるってことですか」

明人先生「そういうことになるね」

たかや君「どこにあるんですか、そんなすごい遺跡」

明人先生「鳥取県だよ」

たかや君「なんかちょっと見えてきました、日本海側だし。戦さで一瞬にして崩壊した『青谷上地寺遺跡』も鳥取県でした」

明人先生「そう。この『妻木晩田遺跡』と『青谷上地寺遺跡』を合わせると九州に次ぐ規模の鉄器の生産をしていたと考えられている」

たかや君「時代の先端を行っていたということですね。それで青谷上地寺の方は滅亡し妻木晩田は生き残った」

明人先生「たかや君はさっき食糧の話をしていたけど、この『妻木晩田遺跡』について言えば集落は確かに高地(丘陵地)にあるけれど低地の淀江平野に水田が確認されている」

    「つまり一つの大きな集落として食糧の確保が備わっていたということだ。さらに北陸や朝鮮半島との交易も行っていてふさわしい良い港もあったらしい」

たかや君「全部揃っているじゃないですか」

明人先生「まとめるとね、平地には水田と農作業場と交易の場(港を含め)、高台には居住区、環濠、物見やぐらにのろし台。まるでクニのような様相だ」

    「鉄器が300点も出土していて、どうやら北部九州を経由しないで、直接朝鮮半島と交易し鉄を入手していたとみられている」

たかや君「ああ~、関係がだんだん複雑になっていく~」

たかや君「先生“高地性集落”って今でも見ることができますか?」

明人先生「『妻木晩田遺跡』を見ることができるけどあまりにも大きくて特別なのでまたの機会に」

    「高地性集落らしい遺跡として香川県の『紫雲出山遺跡』を紹介しよう。標高352mの紫雲出山の頂上につくられた集落だ」

    「見張り台やのろし台だけでなく生活様式が通常のレベルで出土している」

    「中期の初めからの遺跡で中期の終わりには規模も拡大するがそれをもって集落は閉じているよ」

たかや君「政治的・社会的に変化が生じた、つまり状況が変わったというわけですね」

明人先生「そして、東南約2㎞の低地に新たに集落ができているので、わざわざ不便な高地に住む必要がなくなったのではないかということだ」

たかや君「北九州か近畿かという邪馬台国の位置の問題や大和政権のことを考えると、瀬戸内地方って微妙ですね」

明人先生「その微妙さを高いところから見てきてほしいな。『紫雲出山遺跡』は何といっても瀬戸内海に突き出した荘内半島にあるんだ」

    「アクセスは、高松空港からだと車で2時間。電車ではJR予讃線の詫間駅から車で30分」

    「バスを使う方法もあるが言ったように紫雲出山の山頂にあるから少し遠いかな。HPでしっかり確認するといいよ」

    「“紫雲出山遺跡館”というのがあって出土した遺物の展示の他、竪穴住居や高床倉庫の復元もあるそうだ」

たかや君「僕しっかり確認してきます!」


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