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弥生時代の食事とその調理法

「もう飽きた」の父親の一言で3代続く老舗の古本屋を引き継ぐことになった元木明人先生。喧騒渦巻く小学校の教壇から空調の音だけがかすかに響く貴重本の聖地へと環境は大変化。

突然の転職にはじめこそ慌てた風もありましたがそこはそこ。持ち前の臨機応変な性格と後は野となれ山となれの気楽さではたき片手に鼻歌まじりに店内をぶらぶら。

森鴎外の全集や江戸期の古地図、昭和の写真集に戯曲まで、ホコリを払い背表紙をそろえ。

たかや君はもと教え子で好奇心いっぱいの中学1年生。先生のところにやってきては何かと質問を投げつけます。

重い扉がギギーと鈍い音を立て先生が振り返ったその瞬間、後ろポケットにさしたはたきが文庫本の山に触れて崩れ落ちました。

明人先生「やあ、たかや君こんにちは」

たかや君「こんにちは!先生だいじょうぶですか?ぼく拾いますよ」

明人先生「いやいや大丈夫、いや、すまないねえ」

たかや君「今日はぼく、帰ってもお母さんいなくてけっこうゆっくりできます」

明人先生「夕食はどうするんだい」

たかや君「用意してあるって。レンジでチンして食べなさいって言われました」

    「便利ですよね、レンジって。電子レンジ料理ってあるでしょ、うちのお母さんは簡単な煮物だったらレンジで作っちゃいますよ」

明人先生「そりゃ、すごいねえ」

たかや君「それで思ったんです。弥生時代の人たちは今とほとんど同じようにたくさんの食材に恵まれていたけどどうやって食べていたのかなって」

    「だって土器しかないでしょう」

明人先生「確かに今のような便利なものは無いけど、色々と工夫していたと思うよ」

たかや君「水田耕作が始まっても炊飯器は無いし」

明人先生「うん、じゃあ今日は、弥生時代の調理方法について探っていこうか」

たかや君「よろしくお願いします」


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明人先生「まず土器だけど、元々なぜ土器が作られるようになったかというと、堅い堅果類を煮る必要があったからだ」

    「水田稲作が入ってくるとお米もまた煮て食べるようになった」

たかや君「粟やヒエなどの雑穀と一緒に煮ていたんですよね」

明人先生「そう、小豆などの豆類も入れて雑炊のようにしていたと考えられているよ」

たかや君「食事としてはクリなどが雑炊に取って代わったとみていいんですか」

明人先生「いやいや、ドングリ団子は引き続き食べていたらしい、遺跡の中から痕跡が出土されている」

    「庶民にとってお米は決して主食ではなくぜいたく品だ。一部の支配階級だけコメを主食にし常食していたと考えられる」

たかや君「今のようにお米を普通の人が食べるようになったのはいつごろからですか?」

明人先生「常食になるのは室町時代から、でも、精米した白米ということになると、一般には江戸時代からといわれている」
    
    「精米の技術もあるけど水稲だけのごはんとなると、一般の人に行き渡るだけお米の収穫量がなくてはいけないものね」

たかや君「ずいぶんと遅いんですね。もうその時は炊いて食べていたんですよね」

明人先生「“炊いて”食べるようになったのは鉄釜が登場してから。しかし、水分を少なくして今の食べ方にちょっと近いようなのはあったんじゃないかな」

    「それに『甑』というのが遺跡から出土している」

たかや君「何ですか『こしき』って?」

明人先生「“蒸す”道具だよ。“煮る”ためには甕形土器が使われたけどそれに加えて『甑』で“蒸す”こともできるようになったんだ」

たかや君「すごいですねえ、どんな仕組みなんですか?」

明人先生「二つの土器を使う。水を入れた甕を熱して沸騰させる。その上に底に2つ以上の穴の空いた土器、これが『甑』だよ、これをのせる」

    「中にお米などを入れてね。そして木製の蓋などをする」

    「布などを間に入れ密封すれば蒸し器の完成。蒸気が穴を通じて上り食材を蒸すんだ」

たかや君「へえ~、うまく作ってありますね。底を空けた土器なんて面白い」

明人先生「中国でも似たような土器が出土しているから、大陸から来たものだろうね」

    「でもね、ここで細かいこと言うと、朝鮮半島のものは三つ以上の穴が空いているようだけど、列島のそれも弥生時代のものとなるとちょっと違うようだ」

    「さっき、穴が二つ以上って言ったけどそれは古墳時代の土師器のものについて。弥生時代では胴部が真ん中から下部にかけて細くなっていて底部の穴は1つが多い」

    「写真などで紹介されているものを見た限りだけど」

    「容量も小さいからほんの少量しか蒸すことはできない。普段使いではない特別な時だけに使われたと考えられる」

たかや君「うう~ん、進化の過程でしょうかねえ」

明人先生「うん、そういうことになるかな。弥生土器はもろい土器だからいくつも穴をあけるのは困難だったのかもしれないね」

    「底の部分が抜けていて、すのこを置く式のものも出てくる。でもその際にはすのこをひっかける支えのようなものが甕の内側についてないとだめだね」

    「弥生時代のものとしてはまだ確認されていないようだ」

    「今回は調理法についてだから話を戻そう」
     
    「“蒸したお米”は特別な日、ハレの日などに作られ“高坏”に盛られて食べられたと考えられているよ」

    「これは本当に特別な時だけだったらしい」

    「平安時代に入ってからも貴族などはこの日だけ“蒸したお米”=“強飯(こわいい)”を食し、普段は炊いたお米=(姫飯(ひめいい)を食べていたくらいなんだ」

たかや君「それなら普通の庶民が食べるなんてごくまれで、もしかしたら一生口にしたことのない人もいたかもしれませんね」

明人先生「そういうことになるね」

たかや君「蒸したお米ってお赤飯なんかですよね。今でも食べられる」

明人先生「そうだね、蒸したお米を“おこわ”というけど“強飯”(こわいい)からきているといわれている。お赤飯もその一種だ」

    「お酒もこうして蒸したお米から作るけど、弥生時代からその製法はあったことになる」

たかや君「そういえば縄文時代は果実酒でしたよね」

たかや君「ほかの食材についてはどんな調理法があったと考えられますか?」

明人先生「“煮る”、“焼く”」

    「まず“煮る”だけど調味料のようなものが発明される。“塩”だ」

    「瀬戸内地方で製塩の技術が発達した。味付けにもそして食材の保存に塩は生かされていったと考えられる」

たかや君「確か『魏志倭人伝』には“野菜を生で食べる”とあったと思いますけど、生でも漬物にしても食べていたんですね」

明人先生「そうだね。今のように冷蔵庫などないし食材を何とか長持ちさせるために試行錯誤したのだろう。漬物もその一つだね」

たかや君「塩は貴重だったでしょうね、でも焼き魚や肉などにも利用できる」

明人先生「ハレの日のごちそうじゃないかな。他の調理法としてはやはり“蒸す”」

たかや君「甑でですか?」

明人先生「いやいや、葉などにくるんで熱した石の上などに入れるとかだよ。この調理法は縄文時代からあった」

    「縄文時代には屋外での調理施設として“集石遺構”がたくさん確認されているが、そうした蒸し焼き調理に使われたと推察されている」

    「弥生時代に入ると“集石遺構”は減少するがこの調理法が無くなったとはちょっと考えにくい」

たかや君「肉や魚もただ焼きたり煮たりするだけでなく蒸していたんですね」

明人先生「“焼く”や“煮る”よりもふっくらと柔らかくなり栄養的にも優れていると思うよ」

    「他にも縄文時代からあるもので“燻す”というのがある」

たかや君「今流行りの燻製ですか」

明人先生「燻製機のようなものは無かっただろうが、竪穴住居の中に魚などが干されていたことは十分に考えられる。調理や暖、灯りのための火で充分燻されたんじゃないかな」

たかや君「お米の他にはどんなものが食べられるようになったんでしたっけ」

明人先生「水田や用水路ができたことによって、新たな淡水の環境が生まれ、タニシ・コイ・ナマズ・ドジョウなどの淡水漁撈が行われるようになった」

    「動物性たんぱく質が身近で手に入るようになったわけだ」

たかや君「栄養的にもさらに豊かになりましたね」

明人先生「瀬戸内海の地域では蛸つぼ漁も行われるようになるし、潜水漁でアワビやサザエも獲るようになる」

たかや君「海の物や川のものはどうやって食べられていたんでしょう?」

明人先生「基本的には、まず“生”で何でも最初は口にされるだろうけど傷みもあるので煮たり焼いたりしたと思うよ」

    「他に外洋漁撈も盛んになりカツオやサメ、マダイなどが食べられた」

    「カツオは日本人の口に合ったようで、鰹節のプロトタイプのような“堅魚”(カタウオ)や“煮堅魚”(ニカタウオ)なども作られるようになる」

    「3世紀中ごろというから弥生時代も後期だけど、どの後どんどん発達し、大和朝廷が国々に献納を強制するまでになったということだよ」

たかや君「カツオって今でもすごく食べられていますよね。お刺身やたたきだけじゃなくすぐに加工されるようになるなんてすごい!」

明人先生「それに干した貝や干した海草もある。本来の素材のうまみ以上のうまみが出て、煮物にするとほかの食材のいい調味料になった」

たかや君「鰹節も含めるとすごくおいしそうな料理ができそう。日本人の味のルーツのようなものが弥生時代にあったということですね」

明人先生「そういうことになるかな」

たかや君「先生、弥生時代になりますます食生活が豊かになったことはわかりました。甑という蒸し器が弥生時代にできたことも」

    「弥生時代には縄文時代よりもさらに土器が工夫されていったんですね」

    「どこかで見ることってできますか?」

明人先生「食事の様子を見たいと言いだすかとびくびくしたよ」

    「食事については特別展などで開かれるだけでなかなか常設展では見られないまあ、良かった。甑については『奥三河郷土館』で見られるよ」

    「愛知県の奥設楽郡にある。まだ列島が出来上がる以前、陸続きにマンモスや他の動物がやって来た時から近世安土桃山時代までの地域の歴史を展示している」

    「“甑”ももちろん見られるよ」

たかや君「どう行けばいいんですか?」

明人先生「JRの飯田線に乗って“本長篠駅”で下車、“豊鉄バス”で“田口”というバス停で降りて歩いて15分だ」

    「HPを必ず確認すること。屋外展示で豊橋鉄道の田口線の電車も見られるから、マニアにもうってつけかもしれない」

    「“甕”ではなく“甑”。しっかり“底”を見てきてほしいな」

たかや君「了解です!電車と一緒に“底”を見てきます」


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