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弥生時代の食べ物とその種類

元小学校の教師、正木明人先生は今では古書店の店主。商売に飽きた父親から無理矢理押しつけられはたきを手に日焼けで黄ばんだ本の山を前にして呆然としていたところ。

教え子のたかや君(中1)が今日も今日とてやってきました。

明人先生「やあ、たかや君こんにちは!」

たかや君「先生こんにちは!」

明人先生「今日も元気だねえ」

たかや君「ごはんいっぱい食べてますから。給食の他にお母さんがおにぎりを持たせてくれるんです」

明人先生「それはまたすごい」

たかや君「ぼくお米好きだし、お米といったらおにぎりでしょう。弥生時代の人もおにぎり食べていたんじゃないんですか?」

明人先生「いや、お米が握れるようになるのはもう少し後になると思うよ」

たかや君「では、どうやってお米を食べていたんですか?他にもどんなものを食べていたのかなあ?」

明人先生「では、今日は弥生人がどんな食べ物を食べていたかについて見てみようか」

たかや君「お願いします!」


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明人先生「まずはお米だけど、お米がすぐに主食になるわけではない」

    「九州地方など稲作が最初に定着していったところでも収穫量は少なかったんだ」

    「だから、粟やヒエなど雑穀と一緒に水を加えて煮て雑炊のようにして食べていたと考えられている」

    「縄文時代にはクリやシイの実、ドングリやクルミなどの堅果類が主食だったから弥生時代は雑穀が主食になったといえるね」

たかや君「先生、ぼく『魏志』(倭人伝)というのを聞いたことありますよ。中国の古い書物で当時の日本のことが書いてあるって」

    「卑弥呼っていう女王が邪馬台国を治めていたんですよね」

明人先生「よく知っているね」

たかや君「いや、ぼくの知ってるのはそこまで」

明人先生「卑弥呼についての記述の他に人々の様子も書かれているよ」

    「それによると、“冬夏も生野菜を食べている”とか、“飲食は高坏を用いて、手づかみで食べる”とある」

たかや君「その時から“サラダ”食べていたんですか。“高坏”ってなんですか?それに“手づかみ”は何かひどいなあ」

明人先生「火を入れる調理法は縄文時代からあるから、別に原始的ということではない。“サラダ”と言ったけど、生で食べる方が良い食材であったと見るべきだね」

    「“高坏”は弥生時代になってからの土器で広口の鉢に台(足)がついたようなものだ。食べ物の盛り付けに使われたというからこの記述のとおりだね」

    「“手で食べた”というのはすべてこの方式ではないだろう。『青谷上地寺遺跡』からたくさんの木製のスプーンが出土している」

    「雑炊のようなものはスプーンで食べたのだろうね」

    「穀物の他にも小豆や大豆などの豆類、まくわ瓜・かぼちゃ・スイカなどのウリ類、アンズ・ウメ・スモモ・カキ・モモなどの果物も栽培していた」

    「“モモ”は弥生時代になって初めて現れる果物だよ。遺跡からはたくさんの種が発見されているということだから好んで食べられていたんだね」

    「でもね、縄文時代後期からの寒冷化により縄文以来のクリは中部地方や関東地方ではトチノキに代わったり、東北ではトチノキからソバへ栽培を変化させている」

    「それぞれの地域で気候に合わせて栽培品目を代えるという工夫がされていわけだ。ヤマイモ・カタクリ・クズ・ユリの根といった根菜類、山菜も食べていたようだよ」

たかや君「あんまり今と変わりないじゃないですか」

たかや君「魚や肉も食べていたんですよね?やっぱり変わってきましたか」

明人先生「縄文時代は“縄文海進”といってね海水面が上昇して関東地方などでは漁場として適した所がいくつもあり貝塚が発展したよね」

    「ここでも寒冷化が影響して弥生時代には“弥生海退”という海水面の低下が起きるんだ」

    「そのために貝塚はあいついで消滅する。でも外洋漁撈は大丈夫だから、カツオ・サメ・スズキ・クロダイ・フグ・マダイ・ニシンを獲っていた」

    「さらに、潜水漁が行われるようになったのでアワビやサザエ」

    「蛸壺でイイダコを獲るようにもなったし、川ではウグイやアユ・フナ、ナマズ・ドジョウ、水田近くではタニシやカワニナも採取して食べていた」

たかや君「こちらもほとんど今と変わらないですね。肉はどうですか?」

明人先生「イノシシやウサギ、シカなどを縄文時代に食べていたよね。それにブタが加わる」

たかや君「ブタってイノシシの家畜化したものですよね。縄文人が改良していったんですか?」

明人先生「それもあるらしいが、大陸の人がブタそのものを持ち込んだという説が有力かな。調査が進めばはっきりしたこともわかるだろう」

    「それと愛知県の『朝日遺跡』ではニワトリの中足骨が出土している」

たかや君「縄文時代にはなかったですよね。いよいよチキンの到来!」

明人先生「他にはカモなどの骨も出てきてるけど多くはないみたいだ」

    「特にニワトリは食用かどうかは疑わしいね。空を飛ぶもの、時を告げるものとして、崇めていたのという意見もある」

    「その他にはイヌ。大陸から食用の犬が持ち込まれた」

たかや君「ちょっと聞いたことがあります。大陸では飛ぶものは飛行機以外、四つ足のものは机以外食糧の対象だったって」

明人先生「こちらではその習慣はあまり続かなかったようだね」

    「そして、これは大事だよ、調味料としての“塩”」

    「実は縄文時代にも貝を煮て干した“干貝”があって関東地方の貝塚などで出土している」

    「その“干貝”をもう一度煮ると塩味とともに出汁も出て美味しかったのではないかと推察されているよ」

    「弥生時代に入るとそのような“干貝”のほかに干した海草なども使われていたと考えられている。やはり塩味と出汁が出て良い調味料になったと思うね」

たかや君「美味しそうですね。塩だけでなく素材の出汁も出るなんて、当時の人は結構おいしいもの食べていたんだなあ」

明人先生「あとはお酒」

たかや君「縄文時代はエゾニワトコやキイチゴの果実酒でしたよね」

明人先生「うん、それが縄文時代の後期以降、穀物からお酒が造られるようになる」

    「口の中に入れて噛み、吐き出したものを貯めておくと発酵してお酒ができる。“口噛み酒”と呼ばれているもので神事などの神にささげるお酒として造られた」

    「台湾や東南アジアなど稲作文化の地域でも同じような製法で造られていたそうだ。もちろん今でも残っているのはごく少数だろうけどね」

たかや君「あまり想像したくないんですけど」

明人先生「大丈夫。現在の日本酒もお米から造られるけど、製法などから考えて“口噛み酒”が原型ではないということだよ」

たかや君「ああ~、ちょっと安心した。将来ぼくが飲んだ時あまり想像したくないから」

明人先生「でもこれは立派な神事の一つでね、口で噛む人間は巫女や処女に限られていたらしい」

たかや君「はい、すみません。当時の文化を尊重します」

たかや君「先生、食事の風景は今とほとんど変わらないことが分かりました。果物も食べていたり、雑穀だけどお米まじりの主食でなんだかヘルシーですよね」

    「調味料も使われて美味しそうな感じ」

明人先生「そうだね、堅果類が多かった縄文時代に比べて種類は豊富になったかな。あとよく言われるのが“柔らかくなった”ということ」

    「食生活が変わって顔の輪郭、特に顎の感じが変わったといわれているよ」

たかや君「ふ~ん、食べるもので骨まで変わってくるんですね。先生、弥生時代の人々の食事の様子なんかがわかる所ってないですか」

明人先生「『静岡市立登呂博物館』を推薦しようか」

    「JR静岡駅の南口バスターミナルから“登呂遺跡”行きのバス(22番線)が出ているから、終点まで行ってすぐだ」

    「東名高速の静岡ICからも近くだからわかると思う」

    「展示では美味しそうなものが並んでいて弥生人の豊かな生活が想像できるだろう」

たかや君「何だかお腹空いてきちゃった。では行ってきます!」


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