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弥生時代の近畿地方

心うきたつ桜の便り、今日は東で明日は西。ぽっかり浮かぶ白い雲、そよぐ風にも気はそぞろ。

父親の突然の引退宣言により老舗の古書店を引き継ぐことになったもと小学校教諭の元木明人先生

マニア垂涎の名著を破格の値で売ってしまったり何でもない文庫に目の飛び出るような値札をつけたり。

戸惑いながらもなんとか切り盛り、勝手が違う商売に日々これ修行の毎日です。

そんな先生の所に毎日のようにやって来るのはたかや君。小学校の時の生徒で今は地元の中学に通っています。

好奇心旺盛な彼はいつも何かしら質問をもって先生の所を訪れます。

たかや君「先生、ぼく何だか混乱してきちゃったんです」

    「邪馬台国の場所については未だに北九州説と近畿説があって、決着がついていない」

    「だけどその後古墳時代を経てできるのは大和政権じゃないですか。近畿地方ですよね」

    「でも、先生がこれまで話してくれた弥生時代の最前線って北部九州でした」

    「あの『吉野ケ里遺跡』だって今の佐賀県にある。こういったことの関係が僕にはどうにも繋がらないんです」

明人先生「これはまた今日は難しい問題を持ってきたね」

    「大和朝廷が近畿地方にできるのは確かだし、その後明治維新まで日本の中心は近畿地方だ」

    「水田稲作や金属器が大陸や朝鮮半島が入ってきて社会が大きく変容する。それが弥生時代だったね。ムラは大きくなり多くクニが生まれる」

    「大陸や半島の玄関口であった北部九州がなぜその後の政権の中心にいないのかというのは当然の疑問だろう」

    「反対に弥生時代、近畿地方はどのようであったのかが問題となってくるね。つまりなぜ近畿地方にその後政権を握るような勢力が生まれえたのかということだ」

    「邪馬台国については大テーマだからちょっと置いとくとして、今回は近畿地方について見てみようか」

たかや君「ぜひ、お願いします」


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明人先生「弥生時代を通じて近畿地方には遺跡が発見されている。
     兵庫県には『播磨吉田遺跡』、大阪府には縄文時代から続く『池島・福万寺遺跡』がある」

    「吉田遺跡は弥生時代前期からの遺跡で『唐古・鍵遺跡』と同時期。同じ木の葉文様の土器も出土している」

    「つまり大陸や朝鮮半島から水田稲作や金属器が北部九州から入ってきて、まもなく近畿地方にも伝わったことがわかるね」

    「『唐古・鍵遺跡』は600年以上も継続した拠点集落だった。中期には多重環濠でがっちり防備しているけど一方で武器などは発見されていない」

たかや君「環濠というのが単に防備施設というわけではないということは以前先生に教わりました」

    「土器に絵が描かれていたんでしたよね」

明人先生「そう、多重式の楼閣で、大型の掘立柱建物復元の参考になっているよ」

    「それに青銅器の鋳造炉跡など工房が発見されていて“銅鐸”の主要な生産地であったと考えられている」

たかや君「“銅鐸”って鐘みたいのですよね」

明人先生「元々は大きさの違うものをいくつもつりさげて鳴らす楽器だったが、、列島に入ってきて次第に祭祀的な色合いが濃くなってきたようだね」

    「非常に大きなものが作られるようになっていき(1m以上)、楽器として“演奏し聞く”ものから儀式の道具として“見る”ものへと変化していった」

    「列島へは青銅器とともに鉄器が入ってきたわけだけど、青銅器は割と当初から祭祀的な使われかたをしてきた」

たかや君「鉄に比べてもろいからですよね。つまり実用的じゃない」

明人先生「そうだね。時期によって微妙に違うけど、北部九州や四国の西側では銅剣や銅矛・銅戈など武器形の祭器が、近畿地方では銅鐸が多く作られた」

たかや君「どうして違いがあるんでしょうか?」

明人先生「難しいけど、文化圏の違いとしかいまのところ解釈のしようがない」

たかや君「真ん中の中国地方はどうなんですか」

明人先生「中期の後半くらいまでは武器形と銅鐸の両方が出土している」

たかや君「なんかうまくできていますね」

明人先生「言えるのは、広範囲な形で違いが出てきていることだと思う」

    「地方や地域によって、それぞれの拠点集落を中心にして地方色というのかそういうものが出てきている、という感じだね」

    「中期の遺跡では大阪府の和泉市と泉大津市にまたがる大集落跡が発見されているよ。『池上・曽根遺跡』といってね、総面積60万㎡の環濠集落だ」

    「『唐古・鍵遺跡』が約42万㎡だからさらに大きくなっている」

たかや君「北部九州などと比べてどうですか?」

明人先生「分かってる範囲での面積としては佐賀県の『吉野ケ里遺跡』が約50万㎡」

、   「“魏志倭人伝”の“一支国”ではないかとされている長崎県壱岐市の『原の辻遺跡』が約100万㎡」

    「同じく“伊都国”の衛星集落の一つと考えられている福岡市の『今宿五郎江、大塚遺跡』が約4万2000㎡だよ」

たかや君「『原の辻遺跡』は大きいけど近畿地方の遺跡も『吉野ケ里遺跡』と大きさの点ではそれほど大差はないかな」
   
明人先生「では、最新の技術つまり鉄器の生産という観点から見てみよう」

    「北部九州では中期の前半までに鍛造技法といって鉄材を圧縮したり打ち敲いたりして伸ばして成形する技法で生産が始まっている」

    「瀬戸内地方でも後期までには鍛造技法が伝播しているが九州に比べるとその水準は低いといわれているよ」
     
    「中期の『池上・曾根遺跡』については鉄製品の工房跡が見つかっているけど戦さに備えてたくさんの武器を製造したというような様相ではない」

    「そもそも鉄器は最初木を切るなどの工具や農耕具として使用されたんだ」

    「量的にも北部九州が圧倒的に多く出土しているので、鉄資源そのものを北部九州、特に玄界灘沿岸地域が独占していたと考えられている」

たかや君「うう~ん、やっぱり北部九州の方がずっと大陸や半島に近い分、近畿地方は不利って感じですね」

    「それによる違いって何でしょう?」

明人先生「鉄器=武器ではないから、この時代大きな違いはお米などの生産性に出てくると思う」

たかや君「鉄って堅いし、色々な作業が楽になるなら、近畿地方の人たちはすごく欲しかったでしょうね」

    「『池上・曾根遺跡』では工房まで作っているわけで、でも肝心の鉄資源が少ないのは困りますね」

明人先生「しかし、ヒスイでできた勾玉や朱塗りの高坏、銅鐸などが出土している」

たかや君「さっきの銅鐸文化圏ですね。祭祀色が強いのが近畿の特徴」

明人先生「それに『池上・曾根遺跡』からはわが国最大の丸太の刳り抜き井戸や大型の掘立柱建物が発見されているよ」

    「直径70㎝のヒノキの柱が残っていて紀元前の52年に伐採されたことが、調査によってわかっているんだそうだ」
     
    「この大型建物は“屋根倉形式”と呼ばれるもので、船を伏せたような形で復元されている」

    「高さ11m、畳80畳ほどの広さで神殿として使われていたのではないかということだ」

たかや君「何となく近畿地方の様子が分かってきましたが、後期はどうですか?後期って“邪馬台国”がいよいよ現れてくる頃ですよね」

明人先生「弥生時代の後期はだいたい紀元後の50年くらいからで“奴国”が後漢に遣いを送り光武帝より印綬を賜ったころだね」

    「その前の紀元前1世紀ころにの様子が『漢書』地理志が伝えているけど、“倭”は百余りの国に分かれていたという」

たかや君「これまで出てきた大きな遺跡も“クニ”として呼ばれていたということですか?」

明人先生「その“クニ”の拠点となる集落だった可能性が大だね。史書に書かれている国々と照合している作業が一方では進められているよ」

たかや君「そうすると後期の遺跡は“邪馬台国”に近づいてくるわけですよね。なんかワクワクするなあ」

    「近畿地方にはどんな遺跡がありますか?」

明人先生「兵庫県に『五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡』というすごい遺跡があるよ」

    「淡路島の丘陵地に位置する国内最大規模の鉄器製造の群落遺跡だ。弥生時代後期、紀元後1世紀で約100年間続いたといわれている」

    「矢尻や鉄片などたくさんの鉄器が出土している」

    「23棟の施設が確認されていて、うち12棟からは鉄加工の炉跡が見つかっている」

    「さらにそのうちの1棟からは10基の鍛冶炉が確認されてるし、加工する道具出土している。大きな鉄製品製造工場だったということがうかがえるね」

たかや君「ええ~、有るじゃないですか近畿にも“鉄”!」

明人先生「うん、この時代になるとね。淡路島には“国生みの神話”があったりして興味深い」

たかや君「でも、大和政権が誕生する奈良にはちょっと遠い気がしますが」

明人先生「そうだね、そこで出てくるのが『纏向遺跡』だよ。奈良県桜井市三輪山の扇状地に位置している」

    「最も古い遺物は縄文時代の後期まで遡ることができるけど、最盛期は紀元後の3世紀終わりから4世紀の初めころと考えられている」

    「環濠も集落跡もない“古墳群”で、周りは古墳が多数確認されている。一帯は“前方後円墳”の発祥の地といわれている」

たかや君「古墳なら古墳時代だけど、弥生時代のものもあるということですね」

明人先生「そう、『纏向遺跡』は弥生から古墳への転換期を示す貴重な遺跡なんだ」

たかや君「鉄器はどうですか?」

明人先生「製鉄をしたであろうと思われる跡は確認されているけど、鉄器については特記すべきものは見当たらないなあ」

    「特徴的なのは今の三重県や愛知県などで造られたと推定されるものと奈良でも地域で特色のある土器などが、特に多くここに集まっているということ」

    「祭祀関連のものが多いそうだけど、群を抜いて隣の伊勢国や尾張国から入ってきた遺物が多数出土している」
     
    「範囲としては九州から日本海側を含む関東にまでおよぶということだ」

たかや君「どういうことを意味しているんですか?」

明人先生「非常に広範囲に及ぶ地域交流があったことが推察されるよ。ただこの状況がすべて弥生時代にあったかどうかは判然としない」

    「ただこの“古墳群”には卑弥呼の墓ではないかといわれている“箸墓古墳”があるし、“卑弥呼の居館”かとされる大型建物跡もある」

    「邪馬台国が連合国家であったことを考えると、物資が各地から集められていこの遺跡は性格的に似通っているんだ」

たかや君「わあ~ぐっと近づいてきましたね」

明人先生「でも年代的なものが明確ではないので断定には至っていない」

    「まだ特徴的なことはあるよ」

    「この遺跡、非常に大きいということだけど、計画的に作られたと考えられるような多数の遺構の痕跡があるそうなんだ」

たかや君「計画都市ですか、大プロジェクトじゃないですか、すごい!」

明人先生「大きな力、勢力のようなものを感じるが、残念ながらこの遺跡はその後打ち捨てられる。その原因もわかってないみたいだよ」

たかや君「うう~ん、でも先生、古墳時代まで続いたわけだし、終わりが4世紀なら邪馬台国がこの地域にあったということはまだ充分に可能性はあるわけですよね」

明人先生「もちろんだよ。考古学は日進月歩。明日にも大発見があるかもしれない。これから色々なことが分かってくると思うよ」


たかや君「近畿地方が祭祀的な面で一つの勢力を持っていたこと、鉄器については後期になって淡路島でたくさん造られていたことなどが分かりました」

    「先生、僕『五斗長垣内遺跡』がすごく気になるんですけど、見ることってできますか?」

明人先生「できるよ。“五斗長垣内遺跡活用拠点施設”というのがあってね、復元遺構などもある」

    「車で行くのが便利かな。神戸淡路鳴門自動車道を走って北淡ICでおりたら案内板に従っていくといい」

    「“伊弉諾神宮”といって、あの日本の国を作ったといわれる二柱の神様を祀る神社があるからついでに見てくるのを勧めるよ」
  
    「休館日や時間などを確認するためにもHPを検索するのを忘れないで」

たかや君「了解です!」


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