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弥生時代の争い

以前は小学校で教鞭をとっていた正木明人先生。

今は古書店の店主となって一日中本に囲まれるながらのんびりとすごす日々を送っています。そこへやってきたのが中学1年生のたかや君。もと教え子でいつも先生のところに来ては質問をします。

たかや君「先生こんにちは!」

明人先生「やあ、たかや君こんにちは!また来たね」

たかや君「先生、今日学校で“弥生時代”について勉強したんだけど、それまで平和だったところに急に戦争が始まったような印象だった。

    「なぜそんなことが起きたのか今一つわからなんですよね。だってそれまで1万年も大きな争いごとってなかったのでしょ?」

明人先生「うん、そうだね。よし!今日は弥生時代の争いについて話をしようか」

たかや君「よろしくお願いします!」
     


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明人先生「ではまず、弥生時代とはどういう時代かということから」

たかや君「知ってます。縄文土器とは違ういわゆる弥生土器が使われ始めたからその時代を弥生時代といい、その文化を弥生文化というんでしょ」

明人先生「うん、最初はそうだったんだ。縄文土器とは異なる外見や作り方などから違う文化を想定したんだね」

    「だが今はいつから水稲耕作が始まったかが重要なポイントとなる」

    「狩猟採集の縄文時代に対して定住の弥生時代という考え方が古くにはあったけど、縄文時代にはすでに定住は始まっているからね。弥生時代は本格的安定的な“定住”」

    「その理由は、栽培よりもさらに段階の進んだ“農業”がはじまるから」

たかや君「先生、水稲耕作って大陸からやってきた人たちが広めていったんですよね」

明人先生「そう。しかし水稲耕作がいきなり始まったわけじゃない」
     
    「広い意味で稲作ということで言えば陸稲(熱帯ジャポニカ米)は約3500年前の遺跡の土器内から発見されている」

    「3500年前というと縄文の後期だ。でもこれはその後の栽培方法と異なる。それで農機具や水田跡も伴うことが水稲耕作始まりの条件となったんだ」

    「が、この規定でも縄文晩期には佐賀県の『菜畑遺跡』や福岡県の『板付遺跡』で水田跡が発見されているので、稲作開始をもっての弥生時代始まりというのは難しい」

    「で、何でこんなことを言っているかというと、水稲耕作が始まることで社会の様相が劇的に変化していくからなんだよ」
 
たかや君「あ、分かった。それで争いが起きるってことですよね」

明人先生「まだちょっと早いかな。耕作によって集団での作業がいっそう重要さを増し穀物は備蓄され、農業技術のある者が集団を率いるようになるんだ」

    「縄文時代に比べいっそう生活は安定しそうにみえるけど、そうはいかない。耕作できる土地や水のことで問題が出てくる」

たかや君「つまり、土地や水の奪い合いですよね。それで血なまぐさい弥生時代のイメージが完成!先生、理解できました!」

明人先生「いやいやそんな単純にはいかない。何だかそれだと欲しいものは力ずくでも手に入れるという感じだね。どうも実際は色々複雑なんだ」

たかや君「ええ~、技術を持った大陸からの人々がどんどん耕作する土地を拡大する過程で争いがおこったんじゃないんですか?」

    「もちろん平和的に縄文の人たちとまじりあった場合もあったでしょうけど」

    「あ、それに大陸からは金属器も入ってきてるしそれが武器になる。縄文時代とは殺傷能力が格段に違うはずですよね」

明人先生「地域性もあるんじゃないかな。ただ、列島中で殺し合いをしていたわけではない。それに金属器は最初に来た渡来人は持ってこなかったみたいだよ」

    「つまりね、渡来人は何回にもわたって日本列島にやってきたんだ」

    「わかっている最初期のものとしては『菜畑遺跡』など出土の人骨で、唐津平野や糸島平野に住み入ったと考えられているけど、争いらしきものはないんだ」

    「彼らは縄文人がいない無人の平地にコロニーを作ったのち稲作をはじめ、接触してからも友好的に技術を教えたりして共存していったと考えられている」

    「渡来の波はだいたい4回。その4回目が今から約2400年から2500年前の弥生時代前期末の朝鮮半島北部や中国東北部からの渡来人で彼らが青銅器をもたらしたらしい」

    「それもその前の3回にわたる人たちよりもずっと大規模な集団でやってきたということだ」

たかや君「それまでは大きな衝突はないと」
     
明人先生「うん、そういうことになる。で、ここでちょっと言っておこう。“争い”というのは一時的で地域も限定的なもの、“戦争”は全面的な衝突」

    「人類の歴史は争いの歴史というからおそらく縄文時代だって小さな争いというか諍いはあったと思うよ」

    「しかし、武器らしいものは見つかっていないのは確かだ」

    「それに、弥生時代に戻ると、遺跡や遺物を見て何をもって戦さがあったかを判断するのは難しいんだ」

たかや君「首のない人骨とか鏃といった武器がたくさん出るとかではないんですか?」

明人先生「うん、武器はともかく首のない人骨が即、戦さで殺されたとは判断できない。何かの儀礼的なものかもしれないしね」

    「環濠集落は敵に備えて集落の周りに堀をめぐらしたと考えられているけど、本当にただ備えただけで戦さがあったという事実に結び付くかどうかはわからない」

    「もう一つの集落の形態である高地性集落は中期から後期にかけての遺跡だ。瀬戸内地方から近畿にかけて限定的にみられる」

    「敵を避けるためとか監視やのろし台といった軍事目的の施設と考えられているが、そればかりとは限らない」

    「挙げられている例としては、海上交通の見張りとか畑作として単にそこが便利だったとかも考えられるよね」
     
    「傷を受けた人骨を受傷人骨というけど、それについても同じことが言える。色々な要素が合わさってここで戦さがあったということになるんじゃないかな」

たかや君「例えばどんな?」

明人先生「受傷人骨に、戦闘では可能性の高い防御創があるとか、環濠集落集落の場合では濠に逆茂木といって先をとがらせた木の枝を外に向けてたくさん並べる施設があるとかね」

    「でもだいたいの事はわかっているよ。北部九州から伊勢湾沿岸にかけては争いが多かった」

    「南九州や中部東海、南関東から北陸新潟にかけては比較的少なく、北関東や東北地方は争いの痕跡はほとんどないといわれてる」

たかや君「へえ、そんなに違うんですか」

明人先生「そう、弥生時代といっても地域やそれに時代によっても様相は全く異なるんだ」

たかや君「そうなんだ、わかりました」

たかや君「先生、それでは実際にどんな形で争いは生じたんですか?」

明人先生「水田耕作にとって有利な土地が欲しいから、水が欲しいからではなく、権力の拡大で他地域と衝突するという風に今では見ている」

たかや君「“権力”なんて縄文時代の時には聞かなかった言葉ですね」

明人先生「うん、難しく言うとそういう概念がなかったといえる」

たかや君「弥生時代になって、つまり渡来人が入ってきたことによってそれが生まれた、ということですね」

    「それで渡来人が移り住んだところに多くの争いが生じているのか」

明人先生「そういってしまうと身もふたもないな。むしろ、争いを生む土台を作り上げてしまったということかな」

    「確実に戦いがあったとされる遺跡を見てみよう。鳥取県の『青谷上地寺遺跡』」

    「弥生時代の前期後半(A.D.2世紀頃)から後期後半(A.D.3世紀頃)の遺跡だよ。保存状態がよくて約5300点109人分の人骨が見つかった」

    「そのうち110点に殺傷痕が確認されたけど、それらは男性のものばかりでなく女性や老人、幼児のものもあった」

    「刀剣による切り傷や青銅の鏃の刺さった骨が見つかっているけど、傷口の治療痕はなく骨まで達していることからほぼ即死だったらしい」

    「死者の中の若い女性は額に武器を撃ち込まれて殺されていたというから凄惨極まりない」

    「それらは埋葬されたのではなく無差別に溝に折り重なって遺棄されていた。他の遺物も大量に発見されていることから一時に起こった殺戮だったんだね」

たかや君「うわあ~なんでそんなことが起こったんですか」

明人先生「『青谷上地寺遺跡』からは大量の鉄製品も出土しているんだけど、日本海に面した良港をもっていたこともあり朝鮮半島などと直接交易をしていたらしい」

    「同じように直接朝鮮半島と交易をしていたのが日本海に面した『妻木晩田遺跡』だ。この遺跡は弥生時代最大級でとても?栄していた」

    「当時は北部九州が中国や朝鮮半島との交易の窓口だったんだけど二つはそこを通さなかったんだね」

    「妻木晩田遺跡には防御施設がしっかり備わっていたことから緊張状態であったのが伺われる。でも、戦乱の跡はみられないんだ」

たかや君「ということは?」

明人先生「推測では、北部九州勢力と結託して妻木晩田がライバル青谷上地寺を襲ったのではないかということだよ」

たかや君「これはやっぱり、水田争いどころではない権力争いですね」

明人先生「そうだね、それによって土地が拡大していったということは考えられるけど、それはそれぞれの状況による」

たかや君「先生、青谷上地寺遺跡って見られるんですか」

明人先生「“青谷上地寺遺跡展示館”というのがあるよ。大阪からだと智頭急行経由でJR鳥取駅、JR山陰本線に乗り換えて青谷駅下車で徒歩3分」

    「車では鳥取から青谷まで国道9号線を使って約40分、青谷羽合道路青谷インターから2分だよ」

    「北九州だけじゃなく、山陰地方も日本海を通じて繁栄していた様子を肌で感じてきてほしいな」

たかや君「了解!全身で感じてきます!」


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