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古墳時代前期

キャッチボールをしている野球部の生徒を3階の窓から呼び止め、世界史のノート提出の催促をしたのは田野倉先生。

ついでにボールを追いかけてきたサッカー部員には職員室呼び出しの日程調整と追試の宣告をしました。

手際の良さに我ながら関心し、鼻歌まじりで校庭を眺める先生を背中から声をかけたのはコースケ君。

コースケ君「何だ、こんなところにいたんですか。先生、原稿を見てくれるって、約束の時間ですよ」

田野倉先生「ああ、歴史部の定期ニュースの原稿書きね。もうそんな時間か、行く行く」

コースケ君を追いかけて廊下を駆け抜けるパタパタとサンダルの音がして扉を開けるとそこは本が雑然とおかれた歴史部部室。

コースケ君「今回はこの学校の近くで発見された円墳について記事を書こうと思っています」

田野倉先生「お寺の裏手で見つかったものだね。駐車場にしようと思って掘り下げたら土師器の一部が出土したという」

コースケ君「工事が中断して調査が入っていますよ。先生はいつぐらいのものだと思いますか」

田野倉先生「そうだな、そんなに大きくなさそうだし古墳時代の後期だろうと見ている。この辺の豪族の墓なんじゃないかな」

コースケ君「今度歴史部で見学させてもらえることになっています。今から楽しみです」

     「ところで先生、古墳時代というと“前方後円墳”ですね」

     「“前方後円墳”は畿内で造られ始めた後、瀬戸内地方、北部九州へと広がっていく。それはヤマト王権が争いあう“クニ”を統合していった証だと」

田野倉先生「築造年代など考古学的な調査からそう考えられているね」

コースケ君「この西への流れが今一つ僕にはピンとこないんですよ。先生、もう少し詳しく教えてくれますか?」

田野倉先生「よし、いいだろう。原稿の方も順調に仕上がっているみたいだし」

コースケ君「おねがいします」


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田野倉先生「“西への流れ”と言ったけど確かにこれは奇妙なんだ。日本をつくっていくこれまでの過程と比べるとね」

     「『記紀』の“天孫降臨”や“神武東征”は“西から東へ”の動きだ。もちろん、高天原や日向を九州の地ととらえての話だけど」

コースケ君「そのイメージなんです。弥生時代、大陸や朝鮮半島からもたらされたものが九州から各地に広がっていったから、奈良から九州への逆方向というのがわかない」

     「統合して連合し誕生したのが“ヤマト王権”だということですが、なぜそのことが『記紀』に書かれていないのか」

     「はっきりと畿内から北部九州への動きを示す何かがあってもいいと思いますが。だって“天孫降臨”や“神武東征”よりも時代は新しいわけだし」

田野倉先生「そうなんだ、そのあたりが判然としない。史料が少ないからね。色々な説があるがまずは置いておこう」

     「分かっていることを整理していくよ、そうすることで何かが見えてくるかもしれない」

     「“古墳時代”は4つに分けられる。それぞれの特長をみていこう」

     「3世紀の半ば過ぎが前方後円墳の“出現期”。前方部が撥形に開いているもので、だいたいが山など自然の地形を利用して造られている」

コースケ君「高いところを利用して目立たせるわけですね」

田野倉先生「そうだ。これが次にの時期になると平地でも大きく造ろうという意図が現れてくる。また、竪穴式石室ということから個人のお墓だということがわかるよ」

コースケ君「え、それはなぜですか?」

田野倉先生「“竪穴式石室”というのは上に石を載せちゃうんだ。一回載せたらまた持ち上げるのは無理だよね。だから一つのお墓に葬られているのは一つの遺骸」
      
     「それに対して古墳時代も後期になると横穴式石室になる。こちらは追葬といってもう一度石室を開けて遺体を埋葬することが可能だ」

     「つまり初期の墳丘墓は大きな権力を持った個人のためのお墓ということになり、後期には家族か一族のための墓へと変化するというわけだ」

     「ただし庶民については“横穴墓”が造られているので、これは注意」

コースケ君「なるほど。先生、出現期にはどんなものがありますか?」

田野倉先生「福岡県の“石塚山古墳”だ。卑弥呼の墓ではないかと目されているものだよ。三角縁神獣鏡の他、銅鏃、素環頭大刀といった埋葬品はあるが埴輪は見当たらない」

     「一般に埴輪がないのが“出現期”の特長といわれている。他に、墳丘の斜面などを石で覆う“葺石”の方法なども定まっていないようだ」

     「大分県宇佐市の川部・高森古墳群の“赤塚古墳”は九州最古の前方後円墳」
     「他に奈良県桜井市の“纒向石塚古墳”や京都府の“椿井大塚山古墳”、奈良県天理市の“黒塚古墳”がある」

     「さらに、福岡県の“石塚山古墳”や大分県の“赤塚古墳”、京都府の“椿井大塚山古墳”出土の銅鏡は、同笵鏡つまり同じ鋳型から作られた鏡であると考えられている」

コースケ君「それはどういうことを意味しますか?」

田野倉先生「初期のヤマト王権が各地の首長に対して“配った”のではないかという説がある」

コースケ君「ヤマト王権に下ったという意味でそういうものが配られたのはわかりますが、でも、それを副葬品として埋めちゃったら何か意味が無くなっちゃうような気もします」

     「権威付けとして代々継承して大切にしておくならわかるけど、普通なら見せびらかすんじゃないんですか?」

田野倉先生「うん、そこなんだよね。最初は権威として持っていたけど、ある時期から不要になったとも考えられる。どうもこの“配布説”には100%の説明はつかないみたいだな」

田野倉先生「3世紀後半から4世紀ごろまでが“前期”。出現期よりもはるかに大きい墳丘墓が出てくる」

     「“出現期”と合わせて“前期”と呼ぶ場合もある」

コースケ君「あれ、前方後円墳ではないんですか?」

田野倉先生「古墳時代は前方後円墳ばかりではない。方墳や円墳も時代を通じて造られているよ」
      
     「ただ前方後円墳に比べると規模は小さいが、それでも島根県の“大成古墳”などは方墳で一辺が約60mもある」

     「“出現期”との違いは“埴輪”が出てくるところだね」

     「埴輪は弥生時代後期後半、2世紀初めから3世紀の中ごろまで吉備地方で造られた特殊器台型土器や特殊壺型土器を祖型としていて、後の円筒埴輪へと展開する」

     「最古の埴輪といわれているのが都月型円筒埴輪で、奈良県桜井市の“箸墓古墳”から出土しているよ」

     「“箸墓古墳”は墳長約280m、宮内庁では“大市墓”と比定しているけど、卑弥呼の墓ではないかといわれているのは知っているよね」

コースケ君「ええ、でもそれなら“前期”では遅くないですか。あ、そうか、時代が確定していないんですね。でも埴輪が出土しているし…」

田野倉先生「箸墓の他にも奈良盆地には大王陵級の大型前方後円墳が多数確認されている。“西殿塚古墳”は219m、“行燈山古墳”は242m、“渋谷向山古墳”は310mだよ」

     「宮内庁は“西殿塚古墳”について継体天皇の皇后手白香皇女陵と治定しているが年代的には符合していない」

     「また、“行燈山古墳”を崇神天皇陵、“渋谷向山古墳”を景行天皇陵と比定しているが、逆ではないかという見解もある」

     「4世紀の後半では第11代垂仁天皇陵と比定されている“宝来山古墳”で227m」

     「4世紀末には第14代仲哀天皇の神功皇后陵と治定される“五社神(ごさし)古墳”推定復元267mだ」

     「これらはだいたい葺石がしっかりされていて、円筒埴輪や形象埴輪なども検出されている。土器では土師器や須恵器が出土しているよ」

コースケ君「さすが天皇陵クラスはすごく大きいですね」

田野倉先生「それらに準ずる墳墓としては同じく奈良盆地の“桜井茶臼山古墳”280m、“メスリ山古墳”は240mある」

コースケ君「あれ、こっちもすごく大きいですけど、どなたかの皇族のお墓ではないんですか?」

田野倉先生「まだはっきりわかっていないのだろうね」

     「さらに首長クラスなのが山梨県の“甲斐銚子塚古墳”168m、岡山市の“神宮寺山古墳”150m、に東広島市の“三ツ城古墳”92mだ」

コースケ君「こうやって見ていくと分かりますね。やっぱり奈良盆地の古墳が際立って巨大だ」

田野倉先生「皇族の陵となると調査が入らないのでおおよその推定になるが、この時期の前方後円墳も竪穴式石室だよ」

     「埋葬品は三角縁神獣鏡をはじめとした銅鏡や玉などの呪術的な製品の他に鉄製の農耕具も出土している」

コースケ君「三角縁神獣鏡というのは卑弥呼が魏より下賜された鏡ではないかといわれるものですよね」

田野倉先生「卑弥呼の墓ではないか言われている“石塚山古墳”には7面検出されている。一方“箸墓古墳”では分かっていない」

     「しかし、そもそも三角縁神獣鏡については製造が明確ではないんだ。前期の古墳から多く出土していて現在540面以上も検出されているそうだよ」

コースケ君「あんまり“貴重”とは言えない数ですね」

田野倉先生「埋葬されて消えていくものの一方でバリエーションを伴って作られていくのが埴輪だ」

     「埴輪については都月型埴輪から円筒埴輪へそしてその後は器材埴輪・家形埴輪も現れてくる」

コースケ君「色々なものが作られてくるということはどういうことですか?」

田野倉先生「古墳づくりにとても熱心になってくるということが言える。“文化”といってもいいだろう。人々の関心がそこに現れている」

コースケ君「先生、ここまではでも北九州と畿内が中心の話のようです。広がっていく動きは見て取れない」

田野倉先生「そうだね。前の時代よりもずっと大きな力を持った個人の存在が伺われるくらいかな」

     「5世紀になると古墳時代も“中期”だ。このころから様相ががらっと変わってくる。舞台は奈良盆地から河内平野へ、そして瀬戸内へと拡大するよ」

     「しかしもう暗くなってきた。今日はここまで、また次回にしよう」

コースケ君「分かりました。でも、器材埴輪や家形埴輪って何ですか?」

田野倉先生「埴輪は見た方が早いなあ。総合的に揃っているのは『東京国立博物館』の平成館だね」

     「電車ではJRで上野駅公園口あるいは鶯谷駅下車、歩いて10分」

     「東京メトロ銀座線・日比谷線を使ったら上野駅下車で、7番か9番の出口に出てから歩いて15分」

     「千代田線なら根津駅(1番口)に下車して 徒歩15分。京成電鉄では京成上野駅で下車してやはり徒歩15分だよ」
      
     「他の史料も充実しているからじっくり時間をかけて見てくるといい」

     「休館や特別展示などもあるから必ずHPを確認することを忘れずに」

コースケ君「大丈夫、了解です!」


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