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古墳時代ー空白の4世紀その2

野球部の1年生の玉拾い山田君が熱中症で倒れたのを機に監督を務める国語科の高橋先生が15分の休憩を宣言したころ。

歴史部部室では顧問の田野倉先生が学園祭発表の記事を入れたUSBを紛失してしまい大騒ぎ。

机の引き出しに絶対にしまったという先生の主張に耳を貸すものは皆無で、8本の手が今にも先生の身体検査へと迫る勢い。

コースケ君「ああ、あったあった!こんなところに。先生だめじゃないですか」

クズ箱の中から出てきたのはコンビニで買った肉まんの袋。白い紙には皮の残りとともにUSBの赤いスティックが入っていました。

飽きれる部員が早々と鞄を手に出ていくのをにこやかに見送る先生。やれやれと疲れ果てて天を仰ぐコースケ君。

コースケ君「ところで先生、邪馬台国からヤマト王権への移行で、朝鮮半島の碑文について言っていましたよね」

     「列島のいわゆる倭人が新羅と百済を征服して、それを高句麗の好太王が奪い返したとか」

     「先生はあまりそのまま受け取っていなかったようでしたが」

田野倉先生「うん、どうも倭人がそのころ半島に軍を率いてやってくるなんて考えられなくてね」

     「どのように編成された“軍”なのか見当もつかないし、そもそも誰の命令なのかな明記されていない」

コースケ君「半島側の史料には名前がないのですか?」

田野倉先生「“好太王碑文”には百済や新羅の人名もないので頷けるが」

     「“三国史記”では長期にわたってたくさんの“倭兵”が侵入してくるけど個人の名前となると非常に少ないんだ」

     「仕様がないのかもしれないが、率いた者の名前くらいは分からないのかと疑問なんだ」

     「ただ、朝鮮半島に列島の人々が行っていないなんてことはないよ。むしろ盛んに交流していたと見受けられる」

     「特に“馬韓”や後の“百済”との関係は平和的にすすめられたとの印象を僕はもっている」
     
     「そして大事なのはね、そういう友好関係を結んでいた国々も含めて一貫して相手、つまり日本を“倭国”と呼んでいることなんだ」

コースケ君「政権が交代しても日本は日本であるのと同様、ということですね」

     「要するに、邪馬台国もヤマト王権も外国からみたらそのぐらいの変化としかうけとっていなかった、ということですかね?」
      
田野倉先生「あくまで一つの仮説だが、そういうこともいえる」

コースケ君「うーん、まだ何か歯切れが悪い気がします」

田野倉先生「ではもう少し“空白の4世紀”についてみていこうか」

コースケ君「お願いします」


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田野倉先生「最新技術を手に入れたものが時代を制するとすればやはり“鉄”だろう」

     「鉄といえばやはり北部九州ということになるね。弥生時代から出土数はだんぜん九州が多い」

コースケ君「でも先生、淡路島に大きな鍛冶工房を持つ遺跡がありましたよね」

田野倉先生「よく覚えているね。“五斗長垣内遺跡(ごっさかいと)”だね」

     「西日本最大級の鉄器製造群落跡で紀元後1世紀からおよそ100年間ぐらい活躍したとみられている」

     「住居跡が少なく鉄器製作に特化した施設だといわれている」

コースケ君「すごいじゃないですか、近畿地方でもちゃんと鉄器をつくっている」

田野倉先生「でも続かなかったところがミソだよ。どうも鍛冶炉といっても高温に保持するような技術がなかった」

     「研究者によると、防湿構造がなく大型の鉄器の製造は難しかったろうということなんだ。薄い素材の鏨切り加工がほとんどだったらしい」

     「ヤマト王権は前方後円墳の築造という権威だけでなく、実際の利として時代の最先端技術、最先端な“もの”を持つ必要があった」

コースケ君「近畿地方の奈良盆地、纒向付近にそういったものが元々無いなら、どこからか持ってきたということになりますよね」

田野倉先生「そういうことになるね。なのでそういう技術や“もの”をもっている人たち、つまり朝鮮半島からの人たちがやってきたに違いないという説がある」

     「当時、中国をはじめ半島においても政情が不安でたくさんの人たちが列島に逃れてきた、と言われているよ」

     「そしてこの人たちがヤマト王権を誕生させたと考えるんだ」

コースケ君「なるほど、理屈は通っていますね」

田野倉先生「うん。でもこれはいかにも単純すぎる。元いた人たちは駆逐されてしまったのだろうか。そうは考えられないだろう?」

     「そこで出てくるのが以前にも話で出た“邪馬台国東遷説”だ。邪馬台国は九州にあって、最新・最強を誇っていた」

     「東遷説には“いつ?”という問題があるが、仮に台与の時代ということにしておこう。どうも卑弥呼が遷った(移動した)というのは考えられないんだ」

コースケ君「僕も卑弥呼自身が移動したとは思えないけど、でも東遷のその理由は何ですか?北部九州が倭国の最先端をいっていたなら、なぜそこから遷る必要があったのですか」

田野倉先生「これはあくまでも推測だけどね、跡を継いだ台与に卑弥呼ほどのリーダーシップが無かったのではないかということだ」

     「卑弥呼が即位したときにはすでに年を取っていた。“鬼道で衆を惑わす”とあるからかなりのカリスマ性を発揮したに違いない」

     「それに対し、台与が王位についたのはわずか13歳。いくら魏の後ろ盾あるからといってかなりの重荷であったろうと想像する。それに“魏”は265年には滅亡してしまうんだ」

コースケ君「邪馬台国としては他の活路を見出さなければならなかったというわけですね。東遷は台与が判断したんでしょうか?」

田野倉先生「そこのところはわからないが“記紀”に“神武東征”というのがあるね。これは“神武東遷”ともいう」

コースケ君「最初の天皇である神武天皇が“日向”から東に向かうんですよね」

田野倉先生「邪馬台国は筑紫にあったというのが有力だからね、どうして日向(宮崎県)なのかなと思ったけど、台与が日向の有力豪族の出身であるという説があるんだ」

     「つまり日向はそんな突飛な地域ではなかった」

コースケ君「それで日向ですか。納得!」

田野倉先生「でもね“神武東遷”は神話だ。一人の人間が果しえる事績ではない」

     「おそらく台与が即位する以前、卑弥呼の死の前から“東遷”は何年にもわたって進められていたと考えられる」

コースケ君「ええ、どうしてそんな前から?」

田野倉先生「いわゆる“倭国大乱”は2世紀後半。“纒向”は2世紀末に突然現れたんだ。これは何か関連があると見るべきだよね」
   
     「卑弥呼の治世はさすがに強力であったかもしれない。それこそ半島から多くの鉄資源を供給して、従う国に分配し地盤を盤石なものにしていったのだろう」

     「そうしてできた連合国家、邪馬台国にもライバル”狗奴国”がいたのを覚えているかい」

     「強力な邪馬台国に従わない“狗奴国”の存在というのはきっと脅威であったに違いないんだ」

コースケ君「纒向は”逃げ場所”だったのでしょうか?」

田野倉先生「いや、むしろ覇権を広げる拠点ではなかったかと考えられる」

     「纏向遺跡が広い住居跡も確認されない一方で、祭祀関連遺構が充実していることがその証拠だと思う」

     「列島の多くの地域で作られたのではないかとされる遺物は出土しているのは、まさに邪馬台国、それも卑弥呼の威光が広範囲に及んでいたことをうかがわせる」

     「建設は台与の時代になってますます迫られて行ったんじゃないかな。なにせ13歳だから、まわりがとにかくサポートしていかなくてはいけない」

     「卑弥呼が女王の位についたときの表現で『魏志倭人伝』では“共立”という言葉を使っていたよね」

コースケ君「“ヒメ・ヒコ制”ですよね。一緒に男の王もいたんだとびっくりしました」

田野倉先生「この男王が集団を率いて瀬戸内海沿岸西部や吉備の集団と共同で、つまり男たちによって作られたのが初期の“ヤマト王権”であるという説があるよ」

     「邪馬台国とヤマト王権は断絶しているという考え方だ。こういう説でなくても断絶を主張する見解は多くあるけどね」

     「でもそれだと“纒向遺跡”はどう解釈されるのか。祭祀=シャーマンはやはり女性だと見るのが妥当だ」
      
コースケ君「箸墓古墳はどのような状況のもとに築造されたのでしょうか」

田野倉先生「卑弥呼の墓=塚は、女王が死んですぐに造られたように書かれている。死んだのが九州で墓が奈良盆地というのはちょっと考えにくい」

     「大きさが『魏志倭人伝』に記されているということは、伝え聞いたということもないではないが、魏の使節の人たちが実際に見ているという可能性の方が強い」

     「九州から奈良まで、大陸の人にとっては短い距離なのかもしれないが、ちょっと微妙かな」

コースケ君「これまでだとまだ3世紀ですよね」

田野倉先生「台与の時代かあるいはその後で状況が大きく変わったんだと思う」

     「面白い見解があったよね。卑弥呼=”天照大神”という説だ。これに台与=”天照大神”も加わる。つまり”天の岩戸事件”で卑弥呼から台与へと交代するとみるんだ」

     「実在が認められヤマト王権の最初の天皇とされてるいるのが第10代崇神天皇だったよね。3世紀から4世紀初めの人でだいたい台与の時代と重なる」

コースケ君「わあー、崇神天皇と台与は一緒の時代を生きていたんですか、すごい!」

田野倉先生「4世紀に入ると中国は五胡十六国が興亡を繰り返し南北朝の緊張状態に。朝鮮半島では高句麗が起こり三韓時代から新羅・百済そして南部の加羅諸国へと再編成される」

     「こういった変化の中でますます鉄資源供給が必至となっている“倭国”は積極的に半島に乗り出していくよ。百済との友好関係がそうだね」

     「そしてもう一つ、加羅諸国の中の“任那”が重要な意味を持つんだ。崇神天皇とも関係してくる」

     「でも、長くなるので今回はここまでだな。一つの仮説ではあるが 邪馬台国が東遷しヤマト王権へと至るのはもうすぐだ」

コースケ君「先生、この続き絶対お願いしますよ」

コースケ君「いよいよ大詰めですね。『日本書紀』に書かれていることはおとぎ話の神話などではなく”事実”のヒントが隠されていると思うようになってきました」

     「古い神社に行ってみたいんですけどどこかありますか?」

田野倉先生「古いといえば奈良の”大神(おおみわ)神社”や福岡県朝倉郡の”大己貴(おおなむち)神社”があるよ」

     「特に”大己貴神社”は東遷説によると”大神神社”よりも古いということだ」

     「しかしちょっと遠いかなと思うのなら、関東最古で”鷲宮神社”がある。創建は崇神天皇のころだといわれているから、けっこう古いよね」

     「それに、お祀りしている神様の一柱が大己貴命(おおむなちのみこと)なんだ。大己貴命は大国主命の別名、つまり国津神の出雲のヒーロー、出雲大社のご祭神だ」

     「鷲宮神社は近くに多くの支社があるが埼玉県久喜市鷲宮にあるのが本社。アクセスは、東武伊勢崎線鷲宮で下車して歩いて7分だよ」

     「境内にもたくさんの神社があるし近くには久喜市立郷土資料館もあるからついでに見てくるといい」

コースケ君「了解!たっぷりと神様の雰囲気に浸ってきます」


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