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弥生時代の暮らし-身分制の出現

もはや本来の色が何であったかも想像できない程の年月を経て、生命を宿したようなボロボロの本が並ぶ棚。時間が止まったようなその一角に思いっきり手を伸ばしているのは元小学校の教師で今は古本屋の店主をしている正木明人先生。

値段などあってないような書物の世話をし、チョークをはたきに持ち替え口笛吹いてホコリを払います。そんな先生のもとに以前の教え子で中学1年生のたかや君がいつものようにやってきました。

たかや君「先生こんにちは!」

明人先生「やあ、こんにちは!どうした?何か神妙な顔して」

たかや君「え、いや、ちょっと、うう~ん」
     
    「駅の向こうに大きなスーパーができましたよね。そしたら急に人通りが変わっちゃったのかな」

    「何だかこちら側は閑散としていますよ」
     
明人先生「ああ、そうなんだ。ちょっと困った問題でね。商店会でもどうしようかと、何かアイデアはないかなあ」

たかや君「スーパーひとつで、この変化ってすごいですね」

    「あ、そういえば、先生は前に水田耕作によって人々の生活は一変したって言ってましたが、どんな風に変わったんですか」

    「一万年も続いていた縄文時代が稲作を取り入れただけで全然変わっちゃうってこと本当にあるんですか?」

明人先生「いい質問だね。ただ水田耕作だけではないよ。青銅器や鉄器も、渡来人によって大陸や朝鮮半島の文化も入ってきたからね」

    「ただ稲作は大きな要因だと思う。じゃあ今日は弥生時代の人々の暮らしについて見てみようか」

たかや君「よろしくお願いします」


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明人先生「水田耕作によってまず何が変わったか。大きなことで言うと、生活のパターンが変わったんだ」

たかや君「縄文時代にもありましたね、1年のサイクル。春には山菜や貝などの採取、夏には沖まで行ったりして魚を釣ったり」

    「秋にはクリやシイの実など堅果類や果実の収穫、冬はシカやイノシシなどの狩猟でした」

    「そうそう、その間に土器を作ったり家の保全などもあったんですよね。けっこう忙しい1年なんだという印象があったけど」

明人先生「うん、よく覚えているね。縄文時代の人々はそれぞれの季節に合った作業をしていた」

    「でもね、稲作が導入されるとこれだけで1年の作業が決まってくるんだ」

    「春の田起こしに始まって、代掻きに田植え(種もみを直接田んぼに撒く)、時々除草もして秋の収穫。脱穀や貯蔵もそうだね」

    「人々は自分たちの労力が必ずや実を結ぶと信じてこれらの作業を行うわけだ」

    「個人では大変だから集団で行う。最初のころの稲作ではみんなで収穫したものはみんなで分けていたと考えられているよ」

    「しかし、そのうち隣のムラとの違いに気づくようになる。土地や水利の適・不適。土地が広ければそれだけ収穫も多くなるしね」

    「集落内では不平不満が出てきたりして。そうするとそれを解決する人、また、隣のムラとのいざこざや衝突をうまく治め人々を率いる指導者が現れる」

    「いったん指導者が出てくると、もうそこには指図する人と指図される大勢の人という構図が出来上がるんだ」

たかや君「どんな人が指導者になったんですか?」

明人先生「知識を持った渡来人や資質を持った人が指導者となったと思うよ。優秀な指導者に率いられると周囲のムラは吸収され大きなムラへと成長する」

    「指導者はますます力を蓄え、権威も増していくんだ」

    「さらにいつ田植えをするか、いつ収穫をするかという時機の問題も重要だ」

    「梅雨があったり台風がきたり、日本には四季があるけどそれだけ天候が変わりやすいということ」

    「天気って大事なんだ。今のように1週間先を予報できる技術もないし」

    「人の知識で分からないことについては占いに頼っていた。稲作の作業だけでなく集落(集団)の様々な大事なことをはすべてこの占いで決めていたと考えられている」

    「『青谷上地寺遺跡』からは“骨卜”という占いに使う“卜骨”が出土しているよ」

たかや君「なんですかそれ?」

明人先生「イノシシの肩甲骨の節部分が互い違いになるように重ね合わせたものだ。朝鮮半島からもたらされたと推察されている」

    「この占いをする人をシャーマンというけど、シャーマンというと邪馬台国の卑弥呼などが有名だね」

たかや君「卑弥呼なら知っています、邪馬台国の女王ですよね。それだけ権威があったんだ」

明人先生「そう、集団を率いる指導者やシャーマンといった特別な人をはじめ、弥生時代には身分制ができてきたといわれている」

たかや君「縄文時代にはなかったものですね。でも具体的にどうしてわかるんですか?」

明人先生「お墓の様子。場所が区別されていたり大きさが歴然と違っていたり。それに一緒に納められている副葬品での違いがある」

    「身分制とともに貧富の差も出てくから縄文時代と比べると複雑な社会になったっと言えるね」

たかや君「うう~ん、いいんだか悪いんだか。でもこれが歴史だから」

たかや君「身分制ができたことで、他にはどんな変化があったんですか?」

明人先生「“祖先崇拝”って覚えているかい」

たかや君「縄文時代に見られましたよね。集落のほぼ中央にお墓があったり、環状列石でお墓も伴っていることから祭祀、儀式が行われたと考えられていた」

明人先生「そうそう。縄文時代には他にあらゆるものに霊が宿るというアニミズム=精霊崇拝があった」
    
    「弥生時代にはいるとこれに穀物信仰=穀霊崇拝が加わる。稲作がいかに人々の命を保証するものか、重要なものかが分かるよね」

    「この穀物信仰に重要な役割を果たすのが鳥だ」

たかや君「鳥?あの飛ぶ鳥ですか?縄文時代にはあまり出てこなかったと思うけど」

明人先生「空高く飛ぶ鳥は穀物の霊=穀霊を運ぶと考えられたらしい」

    「土器に描かれた高床建物や重層の建物の棟飾りには鳥が描かれているし、鳥の形をした木製品が出土している」

    「『稲吉角田遺跡』(鳥取県)では鳥の恰好をしたシャーマンと思われる人物が描かれた土器が見つかっている」

たかや君「シャーマンは忙しいですね。稲作全般に関わってくるしムラの重要な決定をする占いもしなければならない」

明人先生「それだけじゃない。祖先崇拝という大事な儀式も司る」

たかや君「祖先って、ちょっと気になっていたんですよね。縄文時代にはそれぞれの家系の先祖を敬ったという感じだったけど」

明人先生「そう、既に死んでしまった者が生きている者に対して影響を与えるとか、与えることができるという考え方だね」

    「生きている者は先祖を敬い残された者たちの安寧を願う」

    「弥生時代にはまた違った様相を見せるんだ」

    「豪華な副葬品を備えた大きな墳丘墓ではその周辺で祭祀が行われた痕跡が認められたり、大きな建物の跡があったり」

    「『吉野ヶ里遺跡』では北内部の主祭殿と墳丘墓、集落の南端にある南祭壇が一直線に結んだ線上にあり、大事な意味があって意図的に配置されていることがわかる」

    「それに埋葬が行われなくなった後でも祭祀が行われたことが確認されている」

たかや君「祭祀ってその墳丘墓にまつられている人に対して行われていたってことですよね」

明人先生「そうなんだ、祖先崇拝つまり祖霊に対する信仰が身分制ー階層分化によって首長制と結びつき特定の死者=ムラの指導者に対する信仰にスライドしていったと考えられている」

たかや君「つまり、指導者の先祖をムラ全体で崇拝するということか。支配が強まっていく感じですね」

明人先生「そうだね。大型の建物や高層の建物もそれらを作ることで権威を確認し高めていったと思われる」
 
たかや君「いやあ~弥生時代って凄い!違う、稲作、水田耕作でここまで社会が変化するなんてびっくりです」

たかや君「先生、“鳥形木製品”って珍しいですよね。見ることできますか」

明人先生「弥生時代の“鳥形木製品”は実は各地で出土しているよ」

    「でも、その他の弥生時代の文化がよくわかるということでは“大阪府立弥生文化博物館”がいいかな」

    「約60万?という最大規模の環濠集落跡『池上・曽根遺跡』の遺物なども展示してある」

    「“鳥形木製品”もその遺跡から出土しているんだ」

    「『池上・曽根遺跡』からは他に畳80ほどもある大型掘立建物跡や日本最大にして最古の丸太のくり抜き井戸も発見されている」

    「アクセスは、JR阪和線で信太山駅で下車すると西へ約600m、南海本線では、松ノ浜駅下車で東へ約1500mだ」

    「博物館では建物の柱や井戸の木枠(レプリカ)も展示されているそうだからその大きさをじっくり見てくるといい」

たかや君「はい、弥生のすごさをこの目で見てきます」


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